■陛下に説明したメルトダウン
あとから明らかになったが、この日の夜には、東京電力福島第一原子力発電所1号機のメルトダウン(炉心溶融)が始まっていた。翌12日には、1号機が爆発。発生6日後の3月17日夜に、仙谷由人官房副長官の認証式が皇居で行われた。式は十数分。あとの30分は、菅直人首相が別室で陛下に震災について説明する時間にあてられた。菅は秋の退任まで5回ほど内奏し、いずれも震災が話題になった。陛下は菅に「その都度、熱心に聞かれる」(菅)ので、メルトダウンや、溶けた核燃料が原子炉の圧力容器の底を突き抜けるメルトスルーの可能性についても話したという。
■原発を見たい
両陛下は那須御用邸の風呂を避難者に開放し、豚肉やソーセージ、卵など御料牧場の生産物を避難所へ届けるよう手配した。両陛下のお見舞いは東京、埼玉、千葉、茨城、宮城、岩手と続いた。いよいよ福島県だ。もっとも時間をかけて準備したのが福島だった。訪問までに十数人の原発や放射能関連の専門家らの説明を受け、猛烈な勉強を始めていた。4月20日、東京大学地震研究所の地震火山情報センター長の佐竹健治は、侍従長の川島裕からこんな話を聞いた。
「天皇陛下が、原発を見たいとおっしゃっている」
川島が無理だと答えると、陛下は「自衛隊の飛行機で上空から見るならいいだろう、それでもだめなのか」。
この日、東京電力は福島第一原発の燃料棒の一部溶融を認めた。22日には20キロ圏が警戒区域に設定され、住民の立ち入りが禁じられた。そんな時期だ。
1986年のチェルノブイリ原発事故。被害を受けた国から訪問客を迎えたときは、事故の影響や後遺症などについて熱心に話を聞いた。89年にベルリンの壁が崩れて東西冷戦が終わったあと、陛下がこう言ったのを元侍従長の渡邉允は覚えている。「これでチェルノブイリみたいなことは起こらなくなるだろう。情報の流れがよくなり、何が起こったかわからないうちに大変なことになってしまうようなことは」