もっとも、昨年は故障などでほぼ走れず、大学入学後も5、6月頃に膝を故障。箱根駅伝の予選会も、走れるかどうかギリギリの状況だった。おまけに、元々は5千メートルと1万メートルの選手のため、予選会で走る約20キロは初めての距離。「ブランク明けの2試合目で走るので、不安しかなかった」

 予選会ではチーム内で9番目のタイム。「15キロ以降など、改善点がまだまだあります」というが、「10位、東京国際大学」と呼び上げられた瞬間は「うれしくて叫びました(笑)」。

 予選会を突破できなければ、4年生は引退となるところだった。30歳の1年生の渡辺にとっては年下ばかりの4年生だが、まだ引退させたくなかった。

「苦しいときも一緒に走った仲間ですから。励まし合って走るなんて高校以来。実業団時代は全くなかったので懐かしい感覚でした」

 箱根で走るのが夢?と聞くと、こう答えた。

「箱根は日本の“文化”であり貴重なコンテンツ。そこで実際に走っておくことは指導者になったとき、プラスだと思うんです」

 箱根は漠とした夢ではなく目標。彼にとっては、指導者というゴールに至る過程での、中継点なのかもしれない。社会人として走っていたからこそ感じる損得抜きの仲間の貴重さは、指導者になったときに必ずや生きる感覚だろう。

 箱根の本番に向け、これからよりハードな練習に取り組む渡辺。駆けるオールドルーキーに注目しよう。(渡辺勘郎)

週刊朝日 2017年11月3日号