妻:それまで私の周りにいたのは、ごく普通のピースフルな人たちでした。この人はちょっと違っていて面白いなと思ったんです。

夫:敗戦後ですから、米国で日本人に敬意が払われることは少なかった。そういう中で育ってきたから、余計に「この人、何なの?」と思ったんでしょうね。

妻:まだ21歳でしたから。

夫:ダイアンは、スキップ制度(いわゆる飛び級)で、高校は1年早く出て、大学も3年かからず卒業してるんですよ。

――結婚は63年、夫が27歳、妻が23歳のときだった。

夫:僕は6人兄弟の長男です。家業が美容ですから、父は相手が美容師の資格を取らないと結婚できないというルールを作りました。僕はダイアンにひとめぼれで、結果的にそのルールを守ったわけですが、兄弟もみんな美容師と結婚しています。母は結婚に関して、当人同士で決めるのがいちばんだという考えでした。

妻:結婚を決めるときは、この人となら、かわいい子供が産めるかなと(笑)。両親も彼をとても気に入っていました。

夫:ビバリーヒルズの教会で式を挙げて、ヒルトンホテルに千人を招待して披露宴を開きました。食事が終わるころ、それぞれの父親を探しにいくと、ケンカをしているんです。披露宴の費用は自分が払うと言って互いに譲らない。おやじにとっては長男の結婚式ですし、お義父さんは一人娘の結婚式のために一生懸命働いてきたんだと言うんです。

妻:米国には花嫁の両親が費用を払う習慣があるんですよ。

夫:結局、ダイアンの両親が払いました。その代わり、東京でも披露宴をしました。パン・アメリカン航空機をチャーターし、友人を乗せて東京に向かいました。ハネムーンフライトです。当時は千人規模のパーティーができるホテルがなく、ミカドというキャバレーでやりました。僕の母校の学習院の院長で哲学者・教育者の安倍能成さん、自民党副総裁を務めた川島正次郎さん、主婦連合会の方々も来てくださいました。

暮らしとモノ班 for promotion
台風シーズン目前、水害・地震など天災に備えよう!仮設・簡易トイレのおすすめ14選
次のページ