記者会見場でカフー氏を直撃し、03年の移籍騒動について尋ねると、真相をこう告白した。

「私自身が横浜ではなく、ミランに行くことを決断した。ACミランの方から、当時32歳である私にオファーがあって、金銭面でいえば、横浜のものよりミランの方が低かった。しかし、32歳である私に賭けてくれたミランに対して、私は移籍を決断しました。結果的には、その後5年間、ミランでプレーして、あらゆるタイトルを獲得することができた。私にとって良い移籍だったと思います」

 思わぬ移籍劇は「サッカーの世界ではよくあること」とカフー氏。

 ACミラン所属時代にUEFAチャンピオンズリーグで優勝も経験した。日本への思いをこう語ってくれた。

「2007年のFIFAクラブワールドカップ以来、日本に帰ってくることができて、嬉しい。日本では数々の良い思い出がある。様々なトロフィーを掲げることができた。私にとって大きな誇りで、(UEFAチャンピオンズリーグは)サッカー人生で唯一欠けていた優勝トロフィーで、誇らしく感じた。それが実現したのが2007年だった。また、私にとって人生最高の瞬間は2002年のワールドカップ日韓大会。キャプテンとしてトロフィーを掲げることができたのは最高の喜びだった」

 現在も慈善サッカーなど定期的に身体動かしているらしく、47歳とは思えない体型のカフー氏。最後に日本代表について、「日本代表がロシアワールドカップに出場できるよう、(日本の皆さんは)応援してください」とエールを送った。

 終始笑みを浮かべながら、取材対応してくれたカフー氏。ファンたちと気軽に記念撮影会も行っていた。(本誌・大塚淳史)
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