大手紙大阪本社に所属する記者は「結局、在阪のメディアは、橋下(徹)さんの時代から、このやり方に慣れてしもうたんですよ。数字が取れるという理由で、テレビ映りのいい話ばかり追いかけて、本質的な議論なんておざなりのまま。しかも依拠するのは、役所の垂れ流す『大本営発表』ばかり。で、スタジオに居並ぶお笑い芸人にコメントさせて批評したつもりになっている。でもね、9年前に大阪で始まったこのメディアの風潮、いま、東京に上陸してませんか?」と指摘する。
確かにこの指摘通りだろう。森友問題にせよ加計問題にせよ、次々と明るみに出る資料や証拠は、政権側の主張を真っ向から否定し、国会での政府答弁がいかに嘘かを立証してあまりある。にもかかわらず、とりわけテレビメディアは、その検証に手間をかけることなく、ただただ政権側の言い分を垂れ流すばかり。そして先ほどの在阪記者の指摘通り、スタジオに居並ぶタレントたちにコメントさせてお茶を濁すだけだ。気づけば、我々を取り巻く言論空間は、いつのまにか極めて空虚なものになってしまったのだ。
「安倍一強」なる言葉が唱えられだして久しい。しかし考えてみれば、大阪における維新府政・市政がそうであるように、安倍政権とは、こうした空虚な言論空間があって初めて成立する、砂上の楼閣のような政権なのではないか?
だが森友・加計問題と、次々と疑惑が明るみに出るにつれ、メディア各社も「本来の仕事をすれば、数字はついてくる」ことに気づいたはずだ。
潮目は変わった。その最後の一撃は、私の手元にある籠池氏から預かった9箱の段ボール箱にまだ眠っている。
※ 週刊朝日 2017年6月23日号