女子フィギュアスケートの浅田真央選手が突然の引退。「真央ロス」にショックを受けている人も多いが、彼女はこれからも活躍してくれるはず。地元・名古屋で浅田さんを長年、見続けた東海テレビプロダクションディレクターの渡辺克樹氏が秘話を明かした。
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「小学6年生で3連続のトリプルジャンプをするすごい子がいる」と聞いて、密着取材を始めたのが2003年4月。それから14年間取材してきました。初めて会った時、彼女はまだ中学1年生。真央ちゃんからは「かっちゃん」と呼んでもらっていて、LINE(ライン)でもやりとりしています。
今もピュアな部分があって、ひとことでいうと可愛らしい人。そして天然。面白い人です。
でも競技になるとまるで別人。彼女が中学1年生ぐらいのころ、僕がリンクのスタッフと談笑していたら、「ちゃんと練習見ないなら帰って」と言われました。こんな選手はなかなかいない。いつも必死だからこちらも真剣でした。
やると決めたらずっとやる。整氷車が出てきてもその横でまだ練習していたこともあった。その日の練習目標が達成できるまで帰らなかった。たぶん“今日はこのジャンプをここまでやる”というように、その日その日で決めていたんでしょうね。
スケートと亡きお母さんと本人が一体化しているように見えます。お母さんのことを忘れないために、スケートをやっているようなところがありました。自分の中にある「ママ」と対話しながら競技を続けてきたように思います。
いつもけなげ。「なんとか期待に応えないといけない」という思いが強い。「自分のために滑ったらいいんじゃないの」と話したこともありますが、「たくさんの応援に応えたいから」と。これも「みんなに応援されなくちゃだめなのよ」と言っていたお母さんの影響が強いのだと思います。
ソチ・オリンピックの時も「このままでは帰れない。声援になんとか応えなくちゃ」というのが一番にあったようです。声援がプレッシャーになることは全くないと言っていたのはすごいな、と思います。アスリートの多くがプレッシャーに潰れてしまうから。
過去は振り返らない人です。「こんなことも言っていたんですよ」と僕が説明すると「へぇ」となる。「自分の言ったことですよ」「あ、そうなんだ~」(笑)
そんなことよりも次の試合をどうするか。そういうことを考える人です。この考え方はお母さんも一緒でした。
(取材/本誌・大崎百紀)
※週刊朝日オンライン限定