落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「義理人情」。

*  *  *

 噺家になった時、親からの仕送りが打ち切られ、家賃3万3千円から2万円のアパートに引っ越した。

 大家さんはお婆ちゃん。築40年。娘さん夫婦一家と1階に暮らしていて、2階に店子の部屋が六つ。うち、四つが空き部屋。玄関・トイレ・物干しのベランダ共同という○○荘。

 家賃をたびたび待ってもらった。今どき鷹揚な経営スタイル。「しょうがないよねぇ、前座さんだから。頑張んなさいよ!」

 大家さんが食べ物やら雑貨やら、いろいろ恵んでくれた。

 大家さんは街で配ってるポケットティッシュを集めては私にくれた。テレクラのティッシュが多かったが、配布のバイトはどんな思いでお婆さんに渡してたんだろう。おかげでティッシュペーパーを買ったことがない。

 大家さんは何かと気に掛けてくれた。ありがたい。

 向かいの部屋を仕事場に借りていたお兄さんが、私の勉強会に来てくれた。たまに廊下で顔を合わせるだけなのに、客席に座っていて驚いた。帰りぎわに、

「自分で調べて来ました。いつも壁越しのお稽古の声で楽しませてもらってます」

「うるさくてすいません……」

「いえいえ。また来ますね。あ、よかったらこれ読んで下さい」

 単行本をもらった。お兄さんはノンフィクションライターだった。何かの新人賞を受賞して引っ越していった。

「家出みたいなのよ」

 大家さんの娘さんに頼まれ、田舎から出てきた青年の説得をした。氏素性がハッキリしないのに、部屋を貸しちゃうほうもどうかと思うが。

 彼の部屋に大五郎(焼酎)を持参で乗り込んでいった。

 
私「……とりあえず、飲む?」
彼「いえ。お酒飲めません」
私「(独りで飲みながら)何で東京出てきたの?」
彼「芸能人になりたくて」
私「はぁ……どんな芸能人?」
彼「ミュージシャン、俳優、お笑い、MC……幅広く……」
私「その勉強とかしてるの?」
彼「これから始めます」
私「ご両親は反対してるのね?」
彼「猛反対です……。なぜでしょう?」
私「なぜ?(笑) なぜ、『なぜだ?』と思うの?」
彼「だってボクは必ず成功するんです、わかるんです!……」

 そこから先はよく覚えてないが、翌朝1.8リットル入りの大五郎が半分に。夕方に大家さんが、

「あの子、さっき親が迎えに来て帰っちゃったわよー。私は応援したかったのにー」

 と残念がっていた。

「あの子、目を真っ赤に腫らしてうなだれてたわ……手段はともかく、ありがとうね」

 と大家さんの娘さんからはとても感謝され、お礼にバナナを一房もらった。

 お婆ちゃんの大家さんは夢見る若者が好きだった。ということは、私のコトも彼と同じように見ていたのだろうな。

 去年、気まぐれにアパートの前に行ってみたら、「○○荘」は横文字に、木造2階建てはお洒落なレジデンス風になっていて、思わず笑ってしまった。

 確かめずに立ち去ったけど、お婆ちゃんの大家さんは元気なんだろうか? 建て替えて家賃はいくらになった? まだティッシュ集めてるのかな?

 そもそも大家さんは私の落語聴いたことあったっけかな? どうだったかな?

週刊朝日 2017年2月10日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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