「この橋を渡って20メートルほどで左側に、生活文化センターがあります」

 そう言って女性は静かに消えた。お礼を言う間もなかった。橋を渡りきったところで、遅れたぼくを心配したのか、自転車で迎えに来た伊藤理事長がこちらに気がついた。

 嬉しかった。本当に何気ない、ちょっとした女性の親切だが、パニックになっているぼくにとっては救いの神だった。あの女性がいなかったら、ぼくはまだ「徘徊」を続けていたかもしれない。道に迷っただけじゃないかと思われるかもしれないが、認知症予備軍の当事者としては不安だ。

 幸いパニックもすぐに収まった。聴衆約350人を前にした講演では、ときどきつっかえながらも何とか1時間余り話すことができた。質問コーナーでは、

「認知症になると、体内のナビゲーターが壊れて自分のいる位置や方向がわからなくなるといいます。そういう経験はありますか」

 と聞かれた。

 まさに、この日の自分がそうだったわけで、会場に来るまで「徘徊」したことを詳しく話した。不幸中の幸いだった。「体内のナビ」って使える言葉だと思った。質問によっては、専門的な医学用語も含まれていて、ぼくには答えられないものもあった。みんな認知症についてよく勉強している。専門の先生に助け舟を出していただいた場面もあった。やはり、ぼくは早期治療の実体験者であって、専門家ではないということも思い知らされた。

 もともと方向オンチで、東京でもよく道に迷う。ぼくの体内ナビは若いころから不良品で、年をとってから壊れてしまったのだろう。多くの人に、道がわからなくなったら人に聞けばいいと言われる。だが、東京で道を聞くと、「ちょっと急いでいるので」「私もこの辺はわからないので」などと言われてしまうことも多いので、できるだけ交番などを探すようにしている。

 認知症患者の「徘徊」が問題になるたびに、その人はどこかを探して歩き回っていたに違いないと、同じような経験をするぼくは思っている。決して不思議な行動ではないはずだ。

 それがどこなのか、人によって異なるのだろう。自宅だったり、昔住んでいた家だったり、友達のところだったかもしれない。あの日、神戸で会った女性のように気軽に声をかけてあげると、ぼくの体験したようなパニックが収まり、事態は変わるのだと思う。

 後日、NHKテレビの収録でご一緒した日本認知症予防学会理事長の浦上克哉・鳥取大学医学部教授にその話をしたら、

「私の患者さんで、かなり前に定年退職した男性がいます。その人は朝になると遠方の米子市に出かけてしまう。勤務先だった会社を何度も探し歩いていたのです。でも、会社は倒産してなくなっていた。すでにない会社を時間をかけて探し求めていたのです。他人には『徘徊』に見えるかもしれません。家族も最初はそんなところで何をしていたのだろうと思ったそうです。患者のみなさんはきっと何かを探しているのだと思います」

 と言われた。今までのぼくの疑問が氷解した気分だった。そうだとすると、「徘徊」という言葉自体を別の言葉に変えたほうがいいのではないだろうか。

週刊朝日  2015年11月20日号より抜粋

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