「地域の将来は、人口の足し算と引き算で決めてはいけません。人口が増えても、一人ひとりの人生が不幸だったら意味がない。三木町は人口2万8千人ですが、香川県内の調査では、最も幸福度の高い町です。地方創生を成功させるには、東京在住の一部のエリートが作ったモノサシだけを評価の基準にしてはいけません」
派手な施策をぶち上げる改革派首長だけが注目される時代はとうに過ぎた。地域づくりに成功している例を見ると、住民で主体的に関わっていることが共通している。しかも、その規模は現行の市町村単位ではなく、1950年代にあった「昭和の大合併」以前に存在した、町や村が基本になっていることが多い。
その一つが、山形県南部に位置する川西町だ。川西町は七つの行政区に分かれていて、うち六つが昭和の大合併前の町や村を単位にしている。行政区の一つの東沢地区(旧玉庭村)は、人口は約630人、176戸と最も小さい。だが、都会から子どもの留学を受け入れる「山村留学」をきっかけとした地域づくり活動で、山村力コンクールで林野庁長官賞に輝くなど、数々の賞を受賞している。
東沢地区の運営責任母体である「東沢地区協働のまちづくり推進会議」の小方啓一事務局長は言う。
「小さな地区だからこそ、人口減少に危機感を抱いたのは早かった。最初に検討委員会が開かれたのは88年。全戸が参加して山村留学の受け入れを始め、これまで750人以上の山村留学生を受け入れました。それをきっかけに地域づくりにも積極的になり、現在では農産品直売所の経営、高齢者など交通弱者への運送サービスなどもしています」
東沢地区は、すでに96年から政府の言う総合戦略にあたる「東沢地区計画」を作成。それには多くの地域住民が関わり、最終的には全戸の承認を得る。同会議のセンター長である佐々木和憲さんは、地域づくりは「身の丈に合ったものでなければならない」と話す。
「最初からすべてがうまくいくわけではありません。活動に懐疑的だった人も、地区計画が少しずつ実現していく様子を見たり、自らも活動に参加したりすることで、その意義を理解するようになります。地域づくりは、誰か一人が暴走すると失敗します。多くの人たちと一歩一歩進めていくことが大切です」
前出の甲斐氏は言う。
「昭和の大合併前の町や村は、規模が小さく、人々はお互いに顔の見える関係で生きてきた。今こそ、そういったコミュニティーが必要とされている。地域づくり活動が盛んな場所は、そこに回帰しています」
中央集権的な発想では、地方の現実はなかなか見えてこない。地方創生の迷走を打破するヒントは、地域一体で動き始めた農山村にある。
(本誌・西岡千史)
※週刊朝日 2015年11月6日号より抜粋