車種だけでなくナンバープレートも確認。間もなく追いつけると思った時だ。父親の車はバイパスの出口から侵入した。バイパスを逆走するのか。違反だと分かってはいたが、車を追ってバイパスに入って猛スピードで父の車の前に出て止めた。
「親父、どげすると。逆走したらいけん。どこに行っとったと? さんざん捜し回っていたとに」
次男は声を荒らげ車の窓をたたいた。叔父は疲れきった表情だったという。
「ああ、お前か、どこから来たとか。家がどこにあるか、分からんごとなって……。どこを走っているかも分からんで困っとった」
強く握りしめたハンドルからようやく手を離した。
車の中に幕の内弁当が三つあったという。二つは空で、一つは半分以上食べ残していた。
その日のことを聞き出そうとしたが、満足に説明できなかった。朝、自宅から車で少し離れたドライブインのうどん屋に行ったところまでは覚えていたが、それからの記憶はほとんどない。車にはナビは付いていたが、うまく使えなかったようだ。
幕の内弁当のレシートを調べた。自宅から5キロ以上も離れたスーパーマーケットで購入していたことが分かった。どうも、うどん屋から出て、自宅に戻る途中で帰る道路を間違えたらしい。自宅を通り過ぎて延々と走り回っていたのだ。
腹が減って、弁当を買ったり、トイレに行ったりの途中下車はあったようだが、行方不明になってからのほぼ10時間以上やみくもに車を走らせていたとみられる。頭が真っ白になって公衆電話で助けを求めることも思いつかなかったようだ。そもそも、連絡先の電話番号も分からなかったのかもしれない。
見覚えのある場所に来ると、車をバックで逆走させて戻ったりした。でも、自宅にはたどり着けなかったという。叔父は運転が好きだった。車には大きな傷はなかった。物損も含めて事故は起こしていなかったことが分かった。
奇跡に近い形で父親を見つけた次男は、第三者を巻き込む事故がなかったことを何より喜んだ。しかしこの時、今後はもう車の運転はさせられないと思った。
75歳を過ぎてから「父はちょっと変だ」と思っていたようだ。気になったそのつど注意をしたり、車のキーを隠したりしたこともあったが、すぐに捜し出して運転を続けていた。田舎では車は便利で、同時に不可欠なものでもある。
徘徊ドライブの後、父親と話し合って、車のキーを回収した。運転はしないと約束させた。叔父もその日の出来事を「自分自身でも信じられないような恐怖」と肝に銘じたのか、素直に従った。
※週刊朝日 2015年7月31日号より抜粋