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 ドラマ「相棒」などで活躍する俳優の山西惇(やまにし・あつし)さんは京都大学工学部卒だ。大学は劇団のようだったという。

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 大学=劇団みたいな学生生活でしたね。1回生のとき、5回生だった辰巳琢郎さんが座長の「劇団そとばこまち」に入りまして。

 高校は奈良の東大寺学園。進学校ですが何でも自由にやらせてくれる校風で、バンドやったり映画撮ったりしていた僕は、大学でチラシをもらって芝居を見て、衝撃を受けました。

「俺のやりたいことが全部つまってる!」

 最初に見た芝居は「中華風倭人伝」。感染すると日本語が中国風になまっちゃうウイルスが蔓延するんです。「愛してるアルヨ」って(笑)。大真面目にばかばかしくて腹がよじれた。もう、これだって思いまして飛び込みました。

 当時は学生演劇が花開いた時期で、そとばこまちは阪急ファイブの小劇場「オレンジルーム」で上演してたんですが、それがサークル活動から逸脱しているんじゃないかと大学の自治会に目をつけられましてね。新団員の最初の仕事は、稽古場探しですよ。不動産屋さんに電話して、

「夜中おっきい声出しても大丈夫なところは?」

 軸足は劇団にありましたが、授業も出ましたよ。石油化学科は必修の科目、それも朝イチが多くて。劇団の活動は夜中まであるし、とにかく朝行くだけは行かなきゃ、と。

 2回生から3回生になれなかったんですよ。ドイツ語一個だけ落としちゃった。がんばってたんですけどね。

 就職活動では劇団の先輩がマスコミ志望の人が多かったので、何も考えずに僕も(笑)。見事に落ちて、結局、教授の推薦で石油化学系の会社に就職しました。

 合成潤滑油の企業で作業着を着て、研究の日々。最初の1年は研究オンリーだったんですけど、2年目に生瀬(勝久)さんがそとばこまちの座長になるって聞いて、どうしても一緒にやりたくなって。週末や終業後に舞台に出ていました。結局3年8カ月勤めて、生瀬座長で初めて東京の本多劇場に出るっていうときに、芝居一本の道を選んだ。

 不真面目な学生でしたけど京大は行ってよかったですよ。最初の授業で、

「大学は勉強する方法を学ぶところなんですよ」

 という先生の言葉が聴けただけでもかいがあった。

 僕が学んだ量子力学は細かく見ていくと、最後、哲学の領域に入っていくなあと思ったり、エントロピーの法則が人と人の間にも当てはまるなあとか、芝居にも通じるところがある。

 こういう話をしたら、(俳優の)小林薫さんにエライ喜ばれまして。それから連れていかれるたびに、

「こいつおもろい話しますねん、あれ、ちょっとやったって」

 て、このネタさせられるんです。酒席の話題も大学で学んだ(笑)。

週刊朝日  2015年3月20日号