井伊家18代目当主の井伊直岳(いい・なおたけ)氏は、NHK大河ドラマの影響で観光客が増えたとこう語る
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井伊家の発祥は、西暦でいうと1010年。井伊谷(いいのや)というところの八幡宮の神主が御手洗(みたらい)の井戸の中から生まれた赤ん坊を見つけました。この子が井伊家の元祖で、名を共保(ともやす)といいます。後に井伊谷を支配し、井伊と名乗りはじめたと伝えられています。
井伊谷は現在の浜松市にあります。井伊家は、戦国時代は今川家の配下でした。桶狭間(おけはざま)の戦いでは、当主の直盛が亡くなっています。
「徳川四天王」「徳川三傑」と呼ばれた井伊直政は、15歳で家康にお目見えして仕えることになりました。具足や旗を朱色で統一した「井伊の赤備(あかぞな)え」は、勇猛な軍団として恐れられました。
関ケ原の戦いのあと、彦根に所領をもらいましたので、直政が彦根藩井伊家の初代となります。ただ、そのときにあった城は彦根城ではなく、石田三成の居城、佐和山(さわやま)城でした。彦根城の城郭全体が完成したのは2代・直孝のときです。
井伊家というのは、譜代(ふだい)大名のなかでも破格の扱いを受けています。彦根に来たときは18万石でしたが、30万石まで加増されました。国替えがなかったというのも譜代大名では珍しい。幕府の最高職「大老(たいろう)」を何人も出しているのも井伊家くらいです。
井伊家の歴代当主で最もよく知られているのは13代の、大老・直弼(なおすけ)でしょう。勅許[(ちょっきょ)天皇の許し]を待たずに調印した「日米修好通商条約」と、反幕府派を逮捕して吉田松陰らを死刑にした「安政(あんせい)の大獄(たいごく)」。それに暗殺された「桜田門外の変」。教科書にも載るこの三つの出来事で直弼を知っている方が多いのではないでしょうか。