フィギュアスケート界で、一人の少女の復活物語が進行している。木原万莉子、16歳。3万人に1人といわれる難病で2年間のブランクを余儀なくされながら、氷上に戻ってきた。そして11月の全日本ジュニア選手権で4位に入り、全日本選手権(12月21~23日、さいたまスーパーアリーナ)出場の切符を手にした。
「1年前は全日本の舞台に立てるなんて、夢にも思いませんでした。とにかく本番が楽しみです」
関西大学アイスアリーナで全日本選手権へ向けた調整を重ねる木原はそう言うと、弾けるような笑顔を浮かべた。
木原は滋賀県出身で、京都・同志社高校の1年生。7歳から競技を始め、小学6年生で3回転ジャンプ5種類をマスター。将来を期待された。ソチ五輪代表争いの一角となった宮原知子(15)とも、ライバルとしてしのぎを削ってきた。
2010年。中学1年生の夏だった。順調なフィギュア人生が暗転する。日本スケート連盟が主催する長野・野辺山での合宿中だった。木原が振り返る。
「夏休み前ぐらいに、左の股関節に違和感を感じるようになったんです。でも、合宿にどうしても参加したくて、無理してしまって。合宿から帰るときには、足を引きずってました」
整形外科や内科で診てもらっても、原因がわからない。レントゲンでも、異常が見つからない。
小児科で初めて「大腿骨頭すべり症」という病名を告げられた。思春期に、3万人に1人ぐらいが発症する病気だ。その場で医師から松葉杖を渡され、2日後に手術した。医師は両親に告げた。
「スケートどころか、ちゃんと歩けるようになるかどうかもわからない」
半年間は松葉杖で過ごした。その後もリハビリが続き、氷の上に乗れるようになったのが手術から9カ月後。まずは滑るだけの単純な練習が続いた。ボルトを抜くための手術で、またも松葉杖生活に逆戻り……。試合に出られる状態に戻るころには、病名を告げられてから2年が経っていた。
スケートを再開してすぐの時期を、木原はこう振り返る。
「一番落ち込んでいました。病気になるまでは、3回転をバンバン跳べてたのに、1回転ですら転んでしまう。全然ジャンプができなくなってる自分が悔しくて、毎晩泣いてました。母は『練習を積み重ねたら、できるようになるよ』『これぐらいたいしたことないよ』って声をかけてくれたんです。母の支えがあったからこそ、立ち直れました」
木原自身は、いまだに技術面では2年のブランクを埋め切れていないと感じている。その分、表現力を重視している。すべての指先にまで気を配る木原の演技は、しなやかで優美。ジュニアレベルでは抜きんでた表現力を誇っている。
11月の全日本ジュニア選手権。木原はSP(ショートプログラム)で首位に立った。翌日のFS(フリースケーティング)では、最初のジャンプを二つ立て続けにミスしたが、続く連続ジャンプを成功させた。精神力の強さがにじむ内容だった。
全日本選手権はソチ五輪の出場3枠が決まる大会だ。木原は言う。
「緊張感のある大会を経験できるのは運がいい。私も18年のオリンピックは本気で狙いたいです」
復活物語は、終わらない。
※週刊朝日 2013年12月27日号