俳優の古田新太さんは小さい頃から帽子が好きで、帽子にはいろいろな思い出があるとこう語る。
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道を歩いていた。突然風が吹き、おいらのかぶっていたカンカン帽が飛ばされた。カンカン帽は硬い。カッチカチだ。故に、くたっとならない。縦に落ちてコロコロ転がり出した。いかん! 車道に出た、轢かれる! しかし、車間をぬって器用に車道を渡りきった。段差をものともせず超えていき、踏切へと向かう。あー、電車がおいらのカンカン帽をふっ飛ばした。ズタボロだ。高かったのに……、悲しみで一杯になった。しかし、驚くほど長い距離を転がっていった。一輪車に初めて乗った日にこれぐらい乗れていたら、大喜びの距離だ。鉄拳くんにパラパラ漫画にしてもらったら、めっちゃ泣けると思う。
最近、町を歩いていると、ハットをかぶっている人をよく見る。つい2、3年前はほとんどいなかったと思うのだが、おいらは30年くらい前からかぶっている。その頃は、大袈裟な奴だな、そんな奴ぁいねえよ的な目を向けられていたものだが、来年くらいになると、もう流行ってねーよ的な目で見られるのだろうか。ハットも好きだがキャップも好きだ。ニットも好きだし鳥打ち帽も好きだ。つまり帽子が好きなのだ。冬は暖かいし、夏は眩しくない。何より可愛い。外出する時、帽子をかぶらない意味が分からない。
思えば子供の頃から好きだった。小学生の頃は野球帽、中学になるとアリスのちんぺい(谷村新司)さんに憧れて、アポロキャップをかぶっていた。KISSだのクイーンだのとハードロック小僧を気取っていた癖に、ちんぺいさんに憧れていたのだ。ちょっと恥ずかしい。初めてギターを弾いたのは「遠くで汽笛を聞きながら」だった。うわ、恥ずかしい。
塾のお楽しみ会では、ジーン・シモンズの真似をしていたくせに、学祭では「冬の稲妻」を歌っていた。ごめんなさい。高校に入った頃には、もうハットをかぶり始めていた。当然、まわりにそんな奴はいなく、みんながドライヤーを当てて、ポマードを擦り付けてんのを見ながら、帽子の方が面倒臭くなくて可愛いのになと思っていた訳だ。
昔、新大阪駅に、立ち飲みの串カツ屋さんがあって、大阪に行く度、必ず帰りに立ち寄っていた。強面(こわもて)のハゲた痩せっぽっちの親父さんと、上品なお母さんがやっている店だ。串を揚げているのはもっぱらお母さん、親父さんはずーっとTVを見ていた。一応、酒は作ってくれるのだが、いつも横柄な態度だった。「肘をつくな、肘をついて飲むと酔いが回る」「お前、今日どこに行くんや」「東京帰んだよ」「ほなもう一杯だけ飲ましたるわ、途中降りんとあかんのに、乗り過ごしたら俺のせいにされるからな」みたいな親父さんだった。ある日行くと、店にはお母さん一人だった。半年程前に親父さんは亡くなっていて、お母さんはおいらに、可愛いアポロキャップを手渡した。生前、親父さんが休日いつもかぶっていた帽子だ。おいらは、来週全国ネットの生放送にこいつをかぶって出るからと約束して、東京に帰った。後で聞いたら、お母さんは忘れていて見てなかったそうだ。そんなもんだ。
みなさんは、帽子の思い出ってあります? 母さん、僕のあの帽子どこに行ったんでしょうね。「代々木上原の踏切だよ」
※週刊朝日 2013年9月20日号