今年の夏は暑かった。日本各地で観測史上最高気温を記録し、熱中症で搬送される人が相次いだ。
2020年東京五輪は開会式が7月24日、閉会式が8月9日。今年の夏を思えば、「大丈夫?」と思ってしまう。前回の東京五輪は10月10日の開幕。もっと涼しい時期にずらせないのか。
答えは「ノー」だ。IOCは開催都市に立候補する大前提として、7月15日~8月31日の間で開催することを求めている。
五輪招致を長年取材してきた記者は、その理由をこう解説する。「欧米のテレビで五輪の放送時間を確保するためです。9月に入るとサッカーの欧州チャンピオンズリーグの戦いが本格化し、米プロフットボールのNFLも開幕する。IOCが夏にこだわるのは、これらとの競合を避けるためなのです」。
IOCにとって最大の収入源である放映権料を稼ぐため、開催時期を調整しているというのだ。中東のカタールは首都ドーハを開催地として20年五輪の招致に立候補したが、酷暑を避けた10月開催で挑んだため、1次選考で落選した。
さらにテレビの都合に左右されるものがある。スポーツプロデューサーの杉山茂氏が言う。「20年の東京五輪でも、競技時間の変更は避けられないでしょうね」。
五輪に商業主義が持ち込まれた84年ロサンゼルス五輪以降、アジアで開催された88年ソウル、08年北京の両五輪では、米国の「テレビマネー」による競技時間の変更があった。
たとえばソウル五輪では陸上男子100メートルの決勝が午後1時半に実施された。当初は国際陸連が午後5時に設定していたという。
当時の男子100メートルはカール・ルイス(米)とベン・ジョンソン(カナダ)の対決に世界的な注目が集まっていた。ただソウルの午後5時は米国西部時間の午前零時で、東部時間の午前3時。これでは米国の放送局に放映権を高く売れない。そこで3時間半の前倒しが決まった。
一般的に午前より午後のほうが肉体的に優れたパフォーマンスを発揮できるが、午後1時半に決勝となると、準決勝は午前中。選手にとって最高の時間設定とは到底言えない。北京五輪では競泳で午後に予選、翌日の午前に決勝となった。
東京五輪では、どの競技が変更になりそうなのか。「米国で人気の高い陸上やバスケットボール、女子体操などでしょうね」(杉山氏)。
これらが午前中や午後の早い時間帯になる可能性が高いという。最も暑い時間帯ではないか。一般財団法人気象業務支援センターの登内(とのうち)道彦・気象予報士は、危機感を募らせる。
「20年五輪開催時期で見ると、今年の東京の最高気温は35度でした。同じような猛暑だと、午前9時、10時ごろにはすでに30度を超えることも。直射日光に焼かれたグラウンド上の体感温度は、気象庁発表の最高気温より5度前後高くなります。真夏の日中に屋外で激しい運動をするのは、相当に危険です」
さらに登内氏が続ける。「東京は地球全体の中でも温暖化が顕著で、この100年で平均気温が3度も上がりました。気温は右肩上がりなので、7年後の20年は、今よりも暑くなっているはずです」。
世界中からやってくる観客も含め、熱中症が心配だ。日本特有の高湿度も大きく影響する。桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部の星秋夫教授によると、熱中症予防の指標は、気温、湿度、直射日光などを計算して求めるという。
「これらのうち、湿度の影響力が最も高いのです。イスタンブールやマドリードも暑さは厳しいですが、湿度は東京よりずっと低い。20年東京五輪は五輪史上でも指折りの過酷な環境になるでしょう」(星教授)
ロス五輪の女子マラソンに出場した、ガブリエル・アンデルセン(スイス)は、熱中症でフラフラになりながらゴールした。感動的なシーンとたたえられたが、ひとつ間違えれば命を落としていた。近代五輪で最初に選手が死亡したのも、1912年ストックホルム大会のマラソンだった。
スポーツジャーナリストの増田明美さんが、04年アテネ五輪を振り返る。「スタート時の夕方でも気温が35度ありました。熱中症のために棄権する選手が続出で、あちこちで嘔吐(おうと)していました」。金メダルに輝いた野口みずきもレース直後に嘔吐し、医務室に運ばれたという。増田さんが語る。「東京五輪のマラソンが命がけの戦いになるのは必至。暑さは本当に心配です」。
20年の東京開催が決まったからには、国の威信をかけて、安全な大会にしなくてはならない。前出の星教授はこう話す。「熱中症対策の周知や体を冷やすミストの導入、日陰の多いコース設定、医療体制の完備など、できることは多い。でもその前に、開催時期や競技時間を粘り強く交渉するべきです」。
東京は「アスリート・ファースト」を掲げて五輪をつかんだ。最後まで心意気を貫いてほしいものだ。
※週刊朝日 2013年9月20日号