00年には、一般人と結婚するも離婚。12年には、別の一般人と再婚したが、また離婚してしまう。15年には、メッセンジャーの黒田有との熱愛を報じられたが、破局した。

 ただ、こうした恋愛遍歴によって加わったイメージが、よくも悪くも彼女を芸能界で生き延びさせてきたともいえる。特に、バラエティでは、恋多き女というキャラや自由で正直な物言いが重宝されてきた。もともと、おニャン子時代からヤンキーっぽいイメージでその系統の男子に人気のあった人だ。

■「一生一度のチャンス」をものにした

 18年には「梅沢富美男のズバッと聞きます!」で、過去を振り返り、

「自分の責任なんだけど。ちょっとやらかしすぎでしょ。恋愛も周りの人は止めたもん。だから、人のいうこと聞いておけば良かった」

 と、反省の弁。こういうところが案外、憎めない魅力になっているのではないか。

 さらにいえば、現在のイメージが面白がられるのも「バレンタイン・キッス」の成功が大きい。たったひとつであっても、特大の一発を持っていることが、彼女をひとかどの芸能人として一目置かせることにもつながっているのだ。

「バレンタイン・キッス」は他のアイドルやアーティストにもちょくちょくカバーされているし、彼女自身も何度かセルフリメイクしている。それほどの名曲にデビューでめぐりあえたのは、ひとつの奇跡である。それこそ「♪一年一度のチャンス」どころか「一生一度のチャンス」をものにしたわけだ。

 そうは言っても、そろそろ新しいバレンタインソングの定番にも出現してほしい気がする。ただ、秋元自身、手持ちのアイドルで何度となくバレンタインソングに挑戦しているが、目を見張るような成果は上がっていない。「バレンタイン・キッス」の壁はとんでもなく高いのだろう。

 実際、新たな定番が出現しても、国生が忘れられることはないはずだ。新旧のバレンタインソング共演みたいな企画に呼ばれて、嬉々として歌う、そんな姿が目に浮かぶようである。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。

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