ちなみに、秋元は「曲や振り付けなども含めてアメリカンポップスっぽい愛らしい感じになりました」とも語っているが、このメロディーは国生のために書かれたものではない。ミュージシャン志望だった瀬井広明が「バンドで出したい」とレコード会社に持ち込んだものを、本人了承のうえ、彼女のデビュー曲に回したかたちだ。途中に何度も繰り返されるドゥーワップ風のフレーズも、デモテープの段階から存在したという。

 ただ、そのどこか懐かしくて親しみの持てるメロディーは、国生のたどたどしいボーカルやいい意味で野暮ったいキャラとも見事にハマった。これに目をつけた秋元とそのスタッフたちは慧眼というほかない。

■「恋するフォーチュンクッキー」との共通点

 そして後年、秋元はAKB48でもこの経験を活かしたふしがある。「恋するフォーチュンクッキー」を聴いたとき「バレンタイン・キッス」を思い出したものだ。スイーツと告白という題材、誰でも歌って踊れる古めのサウンド、そして何より、これは指原莉乃の初センター作品だった。歌唱力や正統的アイドル性ではない持ち味でブレイクした女の子を輝かせるにあたって、彼は国生での成功をヒントにしたのではないか。

 さて、おニャン子はAKB以上に「女子高生」や「学園」というコンセプトにこだわったグループである。シングルでは、デビュー曲の「セーラー服」から「教師」「卒業」「チカン」といったテーマを続けて繰り出していった。

 そこには阿久悠が70年代にフィンガー5で展開した世界からの影響が見てとれる。こちらは「卒業前の告白」「女教師への恋」「席替え」といったテーマを歌にしてみせた。

 また、阿久は80年に柏原よしえ(現・芳恵)のセカンドシングルとして「毎日がバレンタイン」を書いた。阿久が亡くなったとき、秋元は交友こそなかったものの尊敬しているということから、自らを「遠くの弟子」だと表現したが、ある意味「バレンタイン・キッス」で「遠くの師匠」を超えたともいえる。

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バレンタインを一気にメジャー化した