私は命に係わるような病気をした。そして、この目が見えなくなったとき、親がどんなに悲しみ苦しみ、そして冷たい世間と闘ってきたかを見てきた。だから気がついたことをみんなに話しておきたい。
これから大人になるまで、大人になってからも、必ず死にたいと思うほどつらいことが何度もやってくる。それでも、何があっても絶対に死んではいかん。死ぬのはいつでもできるんじゃから、それは最後にとっておけ。人間死ぬ気になったら何でもできる。死ぬ前に、竹内流をやってみろ。私は教室じゅうを消火器の泡だらけにして、いじめをクラスみんなの問題にした。いじめっ子の家に砂をまいて、親にも訴えにいった。
みんなに知らせ、みんなの問題にすることが大切なんじゃないか。人を傷つけることさえしなかったら、派手にやったほうがええんじゃ。おとなしくて竹内流がやれない人は、他の方法がある。
いじめっ子は必ず誰にも言うなよと言う。これがいじめっ子の弱みなんじゃから、逆にあっちこっち言うてまわることじゃ。中途半端はいけない。きょうだい・親・近所の人・学校の先生たち。場合によってはお巡りさんにも、それから子ども110番の電話も使って、大騒ぎにしてしまうことが大事なんじゃ。誰かにいじめのことを言えたとき、いじめに勝ったといえる。言えない人は紙に書いてみんなに配ればいい。とにかくみんなの問題にすることがなによりも大事じゃ。
また、いじめの現場を見た人にも言いたいことがある。それを黙って見過ごしていたら、それはいじめっ子を助けることになる。どんな方法でもいいから、そのことをできるだけ大勢の人たちに知らせることだ。誰かに言えたとき、あなたは正義の味方になったといえる。とにかくみんなの問題にすることが、何より大切だということだ。
いじめをする側の人にも一言いいたい。
いじめは褒められた行為ではない。あなたがたとえ遊び感覚のつもりでしたことでも、いじめられた人の心は深く傷つき、それは一生消えることはない。人をいじめるのは弱い人間のすることだ。その証拠に、自分より強い人間をいじめることはしない。