
猛暑のなか、連戦が続く夏の地方大会は、決勝戦までを見据えた過密スケジュールの中で、試合によってはエースを休ませる必要も生じてくるが、このさじ加減はなかなか難しい。一歩間違えると、2番手投手が打たれ、慌ててエースを投入したときには手遅れというケースも少なくない。
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2006年の大阪大会準々決勝では、プロ注目のエース・前田健太(現ドジャース)を擁し、センバツ4強の大本命・PL学園が東大阪大柏原に敗れる波乱が起きた。
大会初登板となった3回戦の大商大堺戦で6安打完封勝利を収めた前田は、4回戦の北陽戦で4安打2失点完投勝ちしたあと、5回戦の吹田戦は4番レフトで出場。準々決勝の東大阪大柏原戦も登板を回避し、背番号8の富田康祐(元DeNA)が先発した。
準決勝で顔を合わせる大阪桐蔭との“事実上の決勝戦”を想定して前田を温存したようだが、東大阪大柏原ナインは「なめてる!」と憤激し、“打倒PL”を合言葉に闘志を燃やしに燃やした。
初回に1点を先制すると、2回にも5長短打を集中して4点を挙げ、なおも2死三塁のチャンス。これ以上失点したくないPLは、前田を投入せざるを得なくなったが、「こんな形で投げるとは思わなかった」と動揺を隠せない。2四球で満塁にしたあと、連打で3点を失い、1対8と大差をつけられた。
これに対し、PLは1対9の5回に前田が左越えに満塁弾を放つなど、必死に追い上げたが、序盤の大量失点が響き、6対9で敗れ去った。
同年は甲子園で、斎藤佑樹(現日本ハム)の早稲田実と田中将大(現ヤンキース)の駒大苫小牧の決勝戦が延長15回引き分け再試合になるなど、88年生まれ世代で高校野球人気が一気に盛り上がったとあって、前田は「自分がその輪の中に入れなかった」ことを悔やんでいた。
1991年の愛知県大会で、愛工大名電のエース・4番として3季連続の甲子園を目指していたイチロー(鈴木一朗)も、甲子園切符がかかった東邦との決勝戦では、先発を外れている。代わってマウンドに上がったのは、控えの2年生投手だったが、2回までに7点を失い、序盤で勝負が決まってしまった。準決勝までの7試合で25打数18安打17打点3本塁打と大当たりだったイチローも3打数無安打に終わり、0対7と完敗。7、8回の2イニング、敗戦処理のマウンドに上がったのが、投手・イチローのラストシーンとなった。