もちろん時間は半分になるんだけど、自分の中では両方に100%の力で向き合っていて、合わせて200%の力を出せました。出産のために入院しているときも原稿を2つ抱えて「終わんない、終わんない」って言っていたし、娘が幼稚園に上がるころまで多いときには連載が7本あって、ずっと締切に追われていたんです。いま思うとあんな忙しいときに、よくやってたなと思います。

 いまは時間があるのに連載は持っていません。何か連載のお仕事ありませんか?(笑)。バランスって取れないものですね。

――エネルギーが200%になったのは、何か理由があったんでしょうか。

 仕事に目標ができたんです。ママになるってわかったときに雑誌とかを見ると、スタイルも顔もきれいで、料理が上手で、教育熱心で仕事もバリバリやっているような完璧な女性ばっかりだった。でも、絶対そういう人ばかりじゃないはずだから、私はみんなの憧れじゃなくて踏み台になるようなママになればいいと思ったんです。

 バラエティー番組でふざけていて、「あの人、本当に子育てできるんだろうか?」って思われる私みたいな人が一生懸命やっていたら、「千秋ができるなら私もできる!」って思ってもらえるといいなと。

 日本の女性って、一つの方向にしか評価されなくて、それができなきゃ普通以下、ダメな人みたいになっちゃうところがある。おこがましいんですけど、私がいろんな多様性があることを証明していこうと思ったんですね。

 私はモデルさんみたいな外見じゃないし、料理が苦手だったけど80歳で良妻賢母になればいいって考えて、そういう声を発信するのが当時の目標でした。

■「円満離婚」を定着させたかった理由

――確かに、新しい母親像でしたよね。

 円満な離婚があるって見せたのも、その一つです。日本では離婚したら「お父さんは天国に行っちゃった」って教えたり、二度と会わないってことが多いけど、離婚を考えていたときにアメリカの友達から現地のことを聞いたんです。

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「夫婦じゃなくても父と母の役割はちゃんとやりたい」