プロレスは究極のエンターテインメントである。
対戦相手との戦いとともに、見ているお客さんとの勝負もあるからだ。一方的な展開で試合に勝とうが、見ている人を満足させなければレスラーとしての評価は高まらない場合もある。
常に自己プロデュースが必要とされ、試合のみでなくリング外でもファンの心を掴むことも要求される。
世界一の団体、米国のWWEは「壮大なソープオペラ」と形容されるのはそいったこともあるからだ。リング内外でのレスラー個々のキャラクター設定など、細部にまで徹底的に作り込まれている。そこにはプロの演出家も存在し細部まで計算されている。
「政治家に必要なのは言葉」と言われるが、プロレスにも当てはまる。リング内外の言葉がファンの琴線に触れ、名シーンを演出することが多々存在する。
プロレス界が大きく動いた平成時代、各選手、関係者などが発した名言、珍言で振り返ってみたい。
■「元気ですか! 元気があれば何でもできる」(アントニオ猪木)
猪木は昭和を代表するレスラーだが、平成にも大きなインパクトを残した。マイクパフォーマンスを行う際のこの言葉、プロレスを知らない人たちでも聞いたことがあるだろう。国会議員も務める猪木は、答弁に立った際も度々「元気ですか!」を叫んでいる。予算委員長に「心臓に悪い人もいるので、今後は控えるように」と注意を受けたこともある。
また平成14年(02年)のサッカー、日韓ワールドカップ開催時には、大会イベントにも多数参加。このセリフを口にするとともに、最後は恒例の「1、2、3、ダー!」で締めていた。
■「時は来た! それだけだ」(故・橋本真也)
キックやチョップなど強烈な打撃系の技を主体に、相手を叩き潰すようなスタイルから『破壊王』と呼ばれた。柔道家・小川直也のレスラー転向時、自らの引退をかけた熱戦をおこなったことなど、記憶に新しい。激しく戦い、遊ぶ。まさに昭和時代の生き残りのような破天荒な生き方で人気を誇った。しかし平成17年(05年)7月11日、脳幹出血のため40歳の若さでこの世を去った。
同世代で「闘魂三銃士」と呼ばれた蝶野正洋と組み、猪木、坂口征二の昭和世代と対戦した平成2年(90年)2月の東京ドーム。試合前に意気込みを聞かれた橋本が発したのが「時は来た! それだけだ」。あまりの唐突さに隣の蝶野が笑ってしまうほどであった。