1974年6月28日に高井は通算14本目となる代打本塁打を放ち、通算代打本塁打の日本記録を更新した。その類いまれな本塁打の秘訣は、豊富な情報収集力にあった。
豪放磊落そうな高井はきわめて緻密な男だった。当時の野球界では相手投手の細かい癖から球種を盗むことはあまりやっていなかったが、高井は球種によって相手投手の癖や動きに違いがあることを独自に見抜いた。それを毎回メモして、その分量は1シーズンで大学ノート数冊の分量になった。そのごく一部を彼から見せてもらったことがある。
例えば南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の江夏豊の場合。<ワインドアップのとき グラブに入れる手が深いときはカーブ。グラブから手首が出たらストレート。セットのとき グラブがいつもより下に降りて、グラブが大きく早く回ったときはストレート>
ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のエース・村田兆治の場合。<ワインドアップ 手首の筋(筆者注:掌<てのひら>からひじまでまっすぐ伸びた骨の部分)が出る ストレート。筋が動く、スライダー。掌が少し開く、スライダー。セットポジション ワシづかみでボールをグローブに入れる。フォーク>
その分析効果は抜群で、高井は江夏、村田からそれぞれ2本塁打した。
「それまでの努力というのは、バット100本振ったとか、どんだけランニングやったとかいうもんでした。だけどワシはそんなしんどいことはせんで。頭のほうやな」
高井の最たる活躍が、1974年のオールスターゲームだった。彼は代打専門ながら、この年のパ・リーグ監督の野村克也によって監督推薦で選ばれたのである。下積みで長く頑張った苦労人に光を当てたいというのが、選出の理由だった。
意気に感じた高井は大活躍をする。第1戦の9回裏1死一塁で代打に出ると、ヤクルトの松岡弘から左中間へライナーで突き刺さる代打逆転サヨナラ本塁打を放ち、MVPに選ばれた。今まであまり注目されなかったパ・リーグの代打選手が、一挙に全国のファンから瞠目される存在となったのである。