高井にまつわるある逸話がある。阪急の本拠・西宮球場での試合で高井は走者に出たとき、人工芝の切れ目にスパイクを引っかけて、ひざの靭帯を切った。3日休んだが、腫れも引かず、歩くこともままならない。しかし昼に監督の上田利治から電話があった。上田は1975年から3年連続日本一を果たした頭脳派の名将である。

 その上田は高井に「今日のロッテ戦は試合に出てくれ」と言った。高井は自分は歩くこともできないと答えると、上田はこう言った。

「そんなの知っとるわ。ユニホーム着て座ってくれとったらええんや」

 試合で高井がベンチにいるだけで相手に警戒心を与えるというのだ。高井がいつ代打で出てくるかわからない。そうすると相手ベンチも容易に投手交代はできない。左打者に左投手をぶつけたくとも高井が出てくるのではと思えば、それもできない。高井がベンチにいるだけで、相手には常に無言の圧力をかけ続けることができるというのだ。

 この試合でロッテの捕手はこうつぶやいたという。

「あいつがベンチにいると1点や2点のリードだと、いつひっくり返されるかわからん。恐怖心で、4点以上リードせんと安心できないんじゃ」

 ロッテは高井の存在を恐れ、打撃陣は焦りで攻撃が雑になった。投手も走者を出せば高井が出てくると過剰に意識し、四球を連発してロッテは自滅した。

 これこそ「ベンチの4番打者」の大活躍である。その働きを筒香も行った。

 14日の広島戦ではベンチから皆を鼓舞し、選手たちは発奮した。ロペスが逆転弾、ソトがダメ押し本塁打を放って、広島に勝利した。

 ラミレス監督が、なぜ筒香をベンチに置いたのか、真意はわからない。ただ明白なのは筒香の存在感の大きさである。広島投手陣は、走者を出せば筒香が代打に出てくるかもしれない不安におびえ、いつもの調子を狂わせてしまった。そこをロペスとソトは見逃さなかった。

 これでDeNAは何とか踏みとどまった。本物の強打者の存在は、グラウンドだけでなく、どこにいても力を発揮できるものだ。誰しもレギュラーとして出場し、活躍したいのが選手の本心である。だが高井が代打人生を送ったように、必要とされた場で仕事を全うするのもプロの生き方である。「代打の神様」と称された阪神の八木裕や桧山進次郎も同じである。彼らもかつては4番打者だった。しかしチーム事情で、代打専門になって、彼らはそこでも大きな仕事をした。

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チームの縦糸と横糸