二転三転の珍サヨナラ劇に、藤田も「三振して褒められたのは初めてだよ」と目を白黒させていた。


 
 阪神の左腕・湯舟敏郎といえば、92年6月14日の広島戦(甲子園)で史上58人目のノーヒットノーランを達成したことで知られるが、実は、同年はプロ野球史上初のシーズン2度のノーヒットノーランという快記録があと少しで生まれるところだった。

 9月23日の巨人戦(東京ドーム)、湯舟は5回まで1本も安打を許さない。虎ファンは当然3カ月前の快挙の再現を期待した。

 ところが、6回にまさかの落とし穴が待ち受けていた。この回、コントロールを乱した湯舟は3四球で2死満塁のピンチを招いた後、5番・駒田徳広に痛恨の押し出し四球。「フォークが高めに抜けてしまった……」(湯舟)。

 それでも“ノーヒットワンラン”は継続したが、7回1死、8番・佐藤洋に三塁内野安打を許し、こちらもストップ。

 結局、許したのはこの1安打だけ。湯舟は1安打1失点12奪三振完投にもかかわらず、0対1で負け投手になってしまった。

 1安打1失点の完投負けは、オリックス・山沖之彦が91年4月12日の日本ハム戦(東京ドーム)で田村藤夫にソロ本塁打を打たれて、0対1で負け投手になって以来の不運な出来事だった。

 広島戦でノーヒットノーランを達成したとき、「人生の運、すべて使ったような気がする」とコメントした湯舟だが、その言葉どおりの皮肉な結果になろうとは……。中村勝広監督も「ワンヒットで敗戦だからなあ」とガックリだった。

 わざわざ“チン事”とカタカナで表記されるような珍事が起きたのが、93年7月26日の阪神vsヤクルト(神宮)。

 3対3の同点で迎えた7回、ヤクルトは先頭・飯田哲也のピッチャー返しの鋭い打球が6回途中から湯舟をリリーフした郭李建夫の股間をドスンと直撃した。

 郭李は痛みをこらえながら、こぼれたボールをむんずと掴み、一塁送球してアウトに仕留めたが、直後、「痛い……」とうめいて昏倒。担架で運ばれて退場した。

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ウグイス嬢は赤面