映画を観終わってビストロに移動し、その話をふってみた。アニキは「僕らバーテンダーは空気を読む、空気を作るのが仕事ですから」と笑ったあと、「そしてあえて空気を読まない、さらにはあえて空気を壊すというのもやるんですよ。こっちのほうが上級技ですが」と語った。そして恋愛の話になると「僕は、恋愛は加点法だと思っています。100から引き算をしていくタイプもいるようですが、足し算のほうが楽しくないですか?」

 あまりに話が尽きなかったので、次回の映画デートもすぐ決まった。2回目のその日、酔っぱらった私は焼鳥屋さんのトイレで用を足して出てきたら、アニキが間をおかず「失敬!」と私のあとに駆け込み、出てきたときには満面の笑みで後ろから肩を抱き、「ゆかりちゃん、流してなかったね」とささやくではないか!「うそ!恥ずかしい」と耳まで真っ赤になったら、「大丈夫。トイレットペーパーの上におしっこかけて粉々にして流しといた」だと。爆笑。「これは女子として減点だね」と問うと「いや、ゆかりちゃんにもドジなところがあるってわかって、加点でしかないな」だと。やばい。これって、ちょっと好きになりかけたのかも。いやいや、そんなうまい話があるわけはない……。これは彼の「あえて空気を読まない」という技に、してやられただけではないのか。

その夜、私が手に取ったのは白川道のデビュー作「流星たちの宴」。バブル紳士でもあった彼の自伝的小説だが、キザなセリフが全編に炸裂していて、読んでいるこちらが気恥ずかしいほどだが、同時に多くの男性ファンをとりこにした白川流男の美学の極致だ。これがトウチャンの本質をよく表している。このロマンチストな魂が、ほかの男の出現に揺れている私を見ていまあの世でなんと思っているのか。考えただけで怖くて、身がすくむのだった。

顔だけではなく、心もうまく認識できなくなっている私には、これが新しい恋のサインなのか新手の詐欺なのかもわからず、ひたすらトウチャンの笑った顔を思い出していた。

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