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うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、「配偶者」という呼び方と、不義理をしてしまった尊敬する大学時代の教授について。
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21日午前、都内の病院を退院した。おなかの痛みで救急搬送されてから13日間と、短い入院期間ですんだ。「次の患者さんが来るまでにベッドメイクしなければいけません」と看護師に言われ、慌ただしく病室を出た。
配偶者は大きな荷物を私に運ばせまいと、3つも抱えてタクシーに乗り込んだ。彼女の勤務後の病院通いもこれで一段落だ。
「なんで奥さんを『配偶者』と呼ぶんですか」とコラムを読む人からよく聞かれる。
たいそうな理由があるわけではない。尊敬する大学時代の教授が「配偶者」を使っており、ならば自分も、と学生時代に決めてしまっただけだ。
もう結婚12年目で、これを言って他人からけげんな顔をされるのには慣れた。だがこの言葉には、いまだにほろ苦さが付きまとう。というのも教授に対し、後ほど触れる、ある不義理をしたからだ。
先生、と呼びたいが、呼べない。そのためお名前や授業内容を伏せている点をもどかしく感じる方もいるだろうが、ご理解いただきたい。
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私が教授にお目にかかったのは24年前だ。所属する学部には卒業論文もなければ指導教官もいない。そんな環境に甘えきっていた私に対し、同じように不勉強だった先輩から「あれだけは」とすすめられたのが教授の授業だった。
当時の授業のノートを開くと、新聞記者としてメモを取り続け、崩れてしまう前のきちょうめんな字体でつづられている。ひと言も聞き漏らすまいとその場に臨んでいたことがうかがえる。
なぜその授業にそこまで引きこまれたのか。覚えている範囲では、板書しながらほぼ一方的に語るオーソドックスな授業で、これといって変わったエピソードがあるわけでもない。それでいて、学問とは一人ひとりの人間の営みの積み重ねだということをしみじみと実感させられた。それは、不勉強なりにのぞいていたほかの授業では得られない感覚だった。