最終コマでは明治・大正時代の女性運動家が取り扱われた。「そちらの方、電気を消していただけますか」と教授に指示され、スイッチを切った。暗闇の中にある運動家の画像が浮かんだ。儒教の「夫婦有別(ふうふべつあり)」から人間はここまで歩んできたのか――。「歴史」を鮮やかに印象づける演出だった。
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翌年、教授のゼミに参加した。テーマ以外で印象に残っているのは、命にまつわるやりとりや雑談が多かったことだ。
前回のコラムで触れた痛み止めの麻酔をめぐっても、ほかのゼミ生とこんな議論をしたことがあった。
「麻酔が効いて喜怒哀楽を感じず、意思を示せない人がいたとする。その人は幸せか」
相手は「それは幸せとは言えないのではないか」という立場だった。これに先立ち、教授が「幸せとは苦痛を感じないことか」と問題提起をしたことがあり、これをなぞったようだった。
これに対し、私は「本人がそれで構わないのならば幸せだ」と述べた。
どんな選択肢が最良かを決めるのは本人だ。何よりも大切なのは、本人が納得しているかどうかだ――。今にして思えば、がん治療に直面する20年以上前から、その点では同じように考えていたことになる。
このやりとりが背景にあったのか。「あなたは良いジャーナリストになるでしょう」と後日、教授から言われた。予言は外れたが、失敗続きの新人記者時代に大きな励ましになったことは間違いない。
「黒澤明の『生きる』についてどう思いますか」と問われたことも忘れられない。私は正直に「『生きる』は切実すぎます」と答えた。
「生きる」は市役所に勤める市民課長が「がん」と宣告されたことで使命感を取り戻し、最後の仕事として、住民が求める公園づくりに取り組む物語だ。20代前半ではピンとこなかったものの、40代半ばとなってがんの疑いを指摘されたとき、頭に浮かんだのがこのやりとりだった。
私はそのころ全国版で予定していた連載の準備をしていた。東日本大震災発生から丸5年を迎える福島がテーマだ。「これが自分にとっての『公園』か」と思う日が来るとは、学生時代は想像もしなかった。