神橋通りに展開する観光旅館や土産物店を背景に急勾配を下る東武駅前行き貨物列車。画面右側には東京ナンバーのハイヤー「プリムス フューリー」が顔を見せていた。神橋~市役所前(撮影/諸河久:1963年8月13日)
神橋通りに展開する観光旅館や土産物店を背景に急勾配を下る東武駅前行き貨物列車。画面右側には東京ナンバーのハイヤー「プリムス フューリー」が顔を見せていた。神橋~市役所前(撮影/諸河久:1963年8月13日)

 写真のED610型は東洋工機製のデッキ式箱型電気機関車で、大正期の製造で老朽化したED600型の代機として1955年に登場した。最急勾配60パーミルの日光軌道線用として発電ブレーキを装備し、正面デッキ下部には排障器が設置されていた。電車線電圧600V、全長11m、自重35トン、出力320kWのスペックで、1968年の日光軌道線廃止後は宮城県の栗原電鉄(1995年くりはら田園鉄道に改名、2007年に廃止)に譲渡され、1987年の同鉄道貨物営業廃止まで活躍した。

目抜き通りを闊歩する貨物列車

 次の写真は神橋通り(国道119号線)を東武駅前に走り去る日光軌道線の貨物列車。画面の左右には観光旅館や土産物、飲食店が林立し、観光地日光を代表する繁華街が展開する。この先の市役所前停留所までは最急52.6パーミルの下り勾配が続き、列車は肩をすぼめるようにゴロゴロと坂道を下って行った。この日は精銅所の副産物といえる硫酸を積載した古河電気工業の私有タンク貨車タム1700型が連結されていた。

 ちなみに、日光軌道線で運転される電気機関車の牽引定数は60トンに設定され、貨物列車は10トン積載貨車3~4両で組成されていた。

下河原停留所には運転指令が常駐しており、田母沢停留所までの前進停留所名札を収めたタブレットキャリアを乗務員に渡していた。旅荘送迎用の「トヨタ ライトバス」が貨物列車を避けて反対車線を走って行った。(撮影/諸河久:1967年7月26日)
下河原停留所には運転指令が常駐しており、田母沢停留所までの前進停留所名札を収めたタブレットキャリアを乗務員に渡していた。旅荘送迎用の「トヨタ ライトバス」が貨物列車を避けて反対車線を走って行った。(撮影/諸河久:1967年7月26日)

 次のカットは狭隘な国道120号線の下河原(したがわら)停留所に到着した清滝行きの貨物列車。停車している軌道敷と背後の歩道との幅員が狭いので、マイクロバスなどが対向車線を使って貨物列車を迂回走行している一コマだ。列車の背景には1893年に開業したクラシックホテル「日光金谷ホテル」別館の威容が写る。木造一部鉄筋コンクリート造の別館は1935年の竣工で、2005年に有形文化財に登録されたレジェンドだ。

 全線単線運転の日光軌道線は通信指令式と呼ばれる運転保安方式を採用していた。当該の運転指令者が隣接の運転取扱所と電話連絡で電車を運行させるもので、運転士はその指示に従って次の運転取扱停留所まで電車を前進させることができる。写真には前進停留所名札を収めたタブレットキャリアを機関車乗務員に渡す貴重なシーンが記録されていた。

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重要文化財指定の電気機関車