4月1日、夕方から吉祥寺駅前の街頭に立ち、街宣活動。この日は、地元選出の元首相・菅直人、前衆議院議員の辻元清美とともに。このあと武蔵野公会堂で自ら主催した都政報告会へ(撮影/植田真紗美)
4月1日、夕方から吉祥寺駅前の街頭に立ち、街宣活動。この日は、地元選出の元首相・菅直人、前衆議院議員の辻元清美とともに。このあと武蔵野公会堂で自ら主催した都政報告会へ(撮影/植田真紗美)

■バイトを転々とする生活 将来の不安が募っていく

 中学時代の同級生で親友だった鈴木彩乃は、当時横行していたいじめをこう語る。

「いじめをされていない人はいないんじゃないかというぐらい、ハッピーな人は誰もいなかった。私もターゲットになって、うちのガラスを割られたりして、鉄格子までつけましたから。いじめという領域は超えていたと思う」

 一方で、五十嵐の中学時代の成績は、常にトップクラスだった。鈴木が言う。

「授業中はいつも私としゃべっていたし、一緒に遊んでいたのに、いつ勉強したんだろうというぐらい勉強はできた。たぶん、パッと教科書を見てわかっていたんだと思います。文章もすごくうまかったし」

 しかし、五十嵐は、中2になってから欠席が目立つようになり、ついには高校への進学も放棄してしまう。昼はアルバイトをし、夜、街を徘徊(はいかい)するという日々の始まりだった。金髪のギャルは悪ぶりながら、10代後半をスタートさせていた。

「ただ、どこかで良識があるから、どんなに悪いことをしようとしても苦しくて、この世界は向いてないな、と感じていました。そんな本当のワルになりきれない自分も嫌でしたね。暴力的なことは本当に嫌いだったし。そう考えると、やっぱり、教育と環境が大事なんですね。どこまで良心を持って生きられるかという」  そんな五十嵐に転機が訪れるのは、チェーンの飲食店でアルバイトをしていた17歳のことだった。正月のシフトを決めるという年末、店長と衝突したのだ。正月に遊びたかった五十嵐は、休みを申請したが認められず、その場で「明日から来なくていい」とクビを言い渡されていた。

都議会の財政委員会で質問に立つ。「国ではなく、都議にできること、都政だからできることを考えている。女性の貧困問題は、いま、どこから手を突っ込んでいこうかと模索しているところです」(撮影/植田真紗美)
都議会の財政委員会で質問に立つ。「国ではなく、都議にできること、都政だからできることを考えている。女性の貧困問題は、いま、どこから手を突っ込んでいこうかと模索しているところです」(撮影/植田真紗美)

「むかついたし、悔しかった。すぐにどうやって闘おうかと思って、労働基準監督署に行ったらいいと知って向かいました。そこでそれは不当解雇に当たると聞き、会社に通知してもらって1カ月分の給料を払ってもらったんです」

 そして、この一件は、五十嵐に新たな道を示すことになった。

「そのお金を得たことは成功体験だったし、法律はすごい、と思った。そこで法律に目覚めてしまって、行政書士になろうと思ったんです。もともと何か資格があれば、社会で働けると思ってましたし。もちろん、すぐには無理でしたが」

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