■日本は積極的に捉える

 規則を守らない人を注意するのは間違っていないだろう、という考え方もある。しかし、仏ではしばしば、規則でダメだとなっていても、(自分と同じ立場である)友だちが注意することはあまりない。もし、友だちに注意をされたとしても先生という権威ある立場からの注意と同等に受け取ることはまずない。「人の話を聞く」ことはこの年代の子どもたちに求められることの一つだが、日本では「友だちからの注意もちゃんと聞き入れる」ということも、含まれるのだと気付かされた。これは娘にとっては新しい経験だったのだ。

 娘の担任の先生に聞くと、学校では協調性を育むためにも、子どもの自立性のためにも、子ども同士のコミュニケーションが重要視されているという。だから、「お友だちの言うことも聞けるようになるといいですね」というわけである。もちろん子ども同士が「正しく」お互いを注意し合うというのは先生の監視が欠かせないが、「注意をする」あるいは「声を掛け合う」ことを積極的に捉えるのが日本なのだ。

 日本で子どもの小学校受験を経験した友人によると、多くの学校で協調性があるかどうかを入試の際に重視するそうだ。日本の公立小学校で教師をしている友人もこう指摘する。

「生徒個人の意見がないのも困るが、個人の意見が強すぎて周りと活動ができないのも困る。後者の方が日本の教育現場では課題として目立つ傾向がある」

 協調性を育む際に大切なことが子ども同士の声の掛け合いや、注意をし合うということがあるようだ。(フリーライター・大野舞)

AERA 2022年4月4日号