6月、増上寺で開かれた関東ブロック浄土宗青年会研修会での講演後、できたてほやほやのレインボーステッカーの完成を喜んだ。僧侶資格取得の最後の修行では、この増上寺に3週間寝泊まりした(撮影/石動弘喜)
6月、増上寺で開かれた関東ブロック浄土宗青年会研修会での講演後、できたてほやほやのレインボーステッカーの完成を喜んだ。僧侶資格取得の最後の修行では、この増上寺に3週間寝泊まりした(撮影/石動弘喜)

心ない同級生からの言葉
いつも一人で寂しかった

 初日の取材後、宏堂に案内されて本堂に入った。天井の高い室内の中央に黄金色の阿弥陀如来像が鎮座している。ここでかくれんぼをして遊んだ子どもの頃、仏教もお寺も好きではなかった。宏堂を跡取りと信じる檀家(だんか)の人たちの愛情のこもった視線は、「自分の死後をわたしに託そうだなんて」と重たく感じた。

 その宏堂が26歳で僧侶の資格を取得した。だが毎日お経を読むわけではなく、檀家さんのお葬式も父親に任せているらしい。

「お経をあげたりお葬式を出したりというのは他のお坊さんでもできることだと思うんです。私には私にしか伝えられないことがあります。そのために、僧侶の資格は有効なフックになるんです」

 たおやかな笑顔が企(たくら)み顔になった。

 幼い頃から頭の中にはコックピットがあるのだと呟(つぶや)いたのは、2度目に会った日だった。

「司令塔がいて、操縦席から指示を出すんです。いやなものを無理に合わせなくてもいいのよ、とか、子どもの遊びにつき合わなくていいわ、とか」

 小学校に上がると、性同一性障害ではないかと思った母に連れられ教育センターで心理テストを受けた。勉強を強制されると反発する子だった。

 中学時代の友人・小林菜月(32)によると、学校のコミュニティーには溶け込んでいたという。

「女子のバレーボールの輪に宏堂さんがいて全然おかしくない感じです。放課後は一緒に帰ってましたし、ディズニーランドに何度も2人で行きました。英語と美術が抜群にできて、私の知らない洋楽を『これ、聴いてみて』って教えてくれる。おもしろいことや楽しいことをどんどん掘り下げて知らない世界に連れて行ってくれる人でした」

 希望校の受験に落ち、進学した私立高校で生活は暗転した。入学早々に同級生の何げない「西村、あいつオカマだろう?」という言葉に全身から血の気が引いた。1日10時間勉強させる受験校で、管理型の校風に疑問を持たない同級生とも打ち解けられない。孤独を深め、アトピーを悪化させた。いつも一人だった。寂しかったが、コックピットは<中退するわけにはいかない。今は耐えてやり過ごしましょう>と指示をした。放課後の英会話スクールや映画館通いで自分を保ち、海外の同性愛者とのオンラインチャットで深呼吸した。卒業後は居場所を求めてアメリカに渡った。

 その冬、オンラインで知り合ったスペイン人のゲイカップルを訪ねた。彼は家族に同性愛者であることをオープンにしていて、母親はゲイナイトイベントに繰り出す我が子と恋人にサンドイッチをつくって持たせた。初めてのゲイナイトで、ゲイがゲイであることを心から楽しんでいる光景に目を白黒させ、宏堂は自分が生きて存在することを素晴らしいと思えた。

 世界はモノクロームから鮮やかな天然色に反転した。2009年にニューヨークのパーソンズ美術大学に進学すると、学部長はゲイで学生の7割がLGBTQ。宏堂は19歳年の離れたアメリカ人のミュージシャンとつき合った。

「大学では留学生とアメリカ人学生が交じり合うクラスでそれぞれ自分の課題に没頭していました。表現を競い合う場では人と違っていることが評価されます。心から自由だと思えました」(宏堂)

(文・三宅玲子)

※記事の続きは2021年9月27日号でご覧いただけます