東京大学先端科学技術研究センター准教授、熊谷晋一郎。生まれてすぐに高熱を発し、一命はとりとめたが脳性まひとなった。物心つくときにはつらいリハビリの日々を過ごす。東京大学に入学し、やがて医者へ。そこで待っていたのは、やはり過酷な日々。医者として手技を人並みにこなすのが難しかった。熊谷晋一郎は、“健常者”の動きに合わせることに必死だった。けれども、等身大の<わたし>を受け入れたとき、世界が広がった。
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朝9時、JR高田馬場駅は通勤客や学生で混み合っていた。改札で待っていると、電動車椅子に乗った熊谷晋一郎(くまがやしんいちろう)(43)が介助者の男性と現れた。駅員の誘導でホームヘ上がり、山手線に乗車。混み合う車両の片隅で始めたのはメールの確認だ。
脳性まひという障害をもつ熊谷は歩くことができず、両肘と手首、指は曲がったままほぼ固定し、肩の動きで上半身を操作する。椅子の肘にかけたポーチからスマホを取り出すと作業を始めた。仕事の連絡が連なり、英文メールも多い。巧みに指先で操りながら返信すると、原稿を書き始める。横揺れする車内で顔も上げず集中する姿に感心したら、「いや、僕も酔いますよ」と苦笑した。
五反田で乗り換え、東急池上線の洗足池駅へ。電車やエレベーターの乗降などは介助を頼むが、路上では自分で車椅子を操作して勢いよく進む。熊谷が向かうのは大田区の病院だ。毎月第3木曜日、小児科で子どもたちを診ている。午後3時に診察を終えると電車を乗り継ぎ、駒場にある東京大学先端科学技術研究センター(先端研)へ急ぐ。夕方6時からオンライン授業が始まるといい、疲れも見せずに電動車椅子を走らせていった。
小児科医の熊谷は「当事者研究」の第一人者でもある。当事者研究とは、障害や病気などの苦労や困難を抱える人が、自分と似た仲間との共同研究を通じて、解釈や対処法をともに考える取り組みだ。先端研で研究に携わり、学生の教育やバリアフリー支援も担う。海外メディアにも注目される活動は多忙を極めるが、小児科医をやめることはなかった。診てきた患者は脳性まひも含めて発達に障害のある子どもたちだ。熊谷はその障害を「個性」と捉え、育つ過程と向き合っている。