なぜ「野球帽」ルール明記なしでも「全員着用」? 初代から現在まで170年の歴史を紐解く (2/4) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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なぜ「野球帽」ルール明記なしでも「全員着用」? 初代から現在まで170年の歴史を紐解く

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綱島理友AERA
1956年の日本シリーズ。ともに日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」で活躍した西鉄の三原脩監督(左)、巨人の水原茂監督のレジェンド対決 (c)朝日新聞社

1956年の日本シリーズ。ともに日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」で活躍した西鉄の三原脩監督(左)、巨人の水原茂監督のレジェンド対決 (c)朝日新聞社

 第1号の野球チームと言われているのがニューヨーク・ニッカーボッカーズだ。ウォール街で事務用品店を営むアレクサンダー・カートライトらが結成したチームで、1846年の6月19日にこのチームが行った対外試合から記録が残されていて、野球というゲームがスタートしたとされている。

 このニッカーボッカーズが49年にユニホームを採用した記録が残っている。彼らは青いウールのパンツに白のフランネルのシャツ、そして麦わら帽をかぶっていた。

 この麦わら帽はトップが扁平で、本体の下部に黒いリボンが一周したハット型の帽子で、今でいうところのカンカン帽だ。これをニューヨーク・ニッカーボッカーズの選手たちはお揃いでかぶっていた。つまり歴史上第1号の野球帽はカンカン帽だったのだ。

 19世紀、外出時に帽子をかぶるのは紳士淑女のたしなみだった。屋外で行われるスポーツでも着帽はエチケットで、当時の写真や資料を見ると、野球以外でも、テニスやゴルフ、クリケットなどはもちろん、ラグビーなどのフットボールにいたるまで、選手は帽子をかぶってプレーしている。

 しかしフットボールはその競技の性格から、やがて防御用のヘッドギア以外の帽子の着用はなくなっていく。テニスやゴルフなどの個人スポーツは社会状況の変化で外出時の着帽がエチケットでなくなったとき、帽子をかぶらない選手も出てきた。クリケットはキャップ型、ハット型を選手の好みで選択できるルールだったので、やがて無帽でプレーする選手も出てきた。

 ところが野球はユニホームのルールで、チームは同一の服装をしなければならない規定があった。そのためクリケットと違い、個人の自由な裁量がきかなかった。結果、選手全員が帽子をかぶる形が今まで生き残ったとも言える。

 こう考えると、最初に「野球帽をかぶらなければならないルールはない」と書いたが、野球選手が野球帽をかぶるのは、結局はルールのせいだったということになるかもしれない。


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