アイザック・ニュートン(gettyimages)
アイザック・ニュートン(gettyimages)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。今回はアイザック・ニュートンを「診断」する。

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「歴史は繰り返さない。しかし韻を踏むことが多い」(マーク・トウェイン)

 4月7日の新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言を受けて、在宅勤務や待機となっている――読者の中にも、こういった方が少なくないだろう。宣言は5月末までの延長も見込まれている。

 疫病による都市の封鎖は歴史の上で何度か起きているが、ペストによる休校を「創造的休暇」として万有引力の発見に結び付けたのが、ニュートンである。

 重力とは何か。この物理学上の最重要発見をわかりやすく説明するのは意外と難しい。人に会うたびに万有引力の原理を数学的に説明していたニュートンもこれが面倒くさくなって、「あれはな、リンゴが木から落ちるのを見て思いついたんだ」と話を端折ったというのが故立川談志家元の説だが、案外、本当かもしれない。

■英国科学の父

 第二次世界大戦後、植民地の独立によりイギリス経済は縮小したが、科学の分野では今でも世界最先端の国である。イギリス科学の父と言われるアイザック・ニュートンは、1642年12月25日にイングランドの東海岸の寒村の小地主の家に生まれた。同名の父は彼の出生前に病死し、母はアイザックが3歳の時に牧師バーナバス・スミスと再婚、アイザックは父方の祖母に養育された。

 祖母は幼いアイザックを溺愛するのみならず、最高の教育を授けようと考え、近郊の小都市グランサムのグラマースクールに入学させた。アイザックはすぐに首席になったが、14歳になった時に母の再婚相手が死去し、母は農家を継がせるために退学させた。しかし、アイザックは農業にまったく興味がなく、親類の助言もあって復学、そしてケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した。

 実家が貧しいため大学の雑用をしながら優秀な成績で進級、生涯の師となるルーカス数学講座の初代教授アイザック・バローに出会った。奨学金を得ながら学位をえる25歳までに万有引力、二項定理、微分積分学という三大業績を達成した。

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早川智

早川智

早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に戦国武将を診る(朝日新聞出版)など

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