竹内まりや/ワーナーミュージック提供
竹内まりや/ワーナーミュージック提供
「いのうちの歌」/ワーナーミュージック提供
「いのうちの歌」/ワーナーミュージック提供

 あと数時間で今年も終わろうとしているが、2010年代最後の「紅白歌合戦」に竹内まりやが出演することは、象徴的な出来事だと言えるだろう。デビュー40年を数える彼女にとって今回が初の紅白出場だが、これまでのキャリアで最も“タイムリー”ではないだろうか。

【紅白で披露する「いのちの歌」の温かみのあるジャケットの写真はこちら】

 歌うのは「いのちの歌」。08年のNHK連続テレビ小説「だんだん」の劇中歌として主役の三倉茉奈・佳奈によって披露され、12年に竹内自らもセルフカヴァーした人気曲だ。この10年の間に多くの災害に見舞われた日本。この曲が伝えるいのちの深さ、尊さを改めて実感する人もきっと少なくないだろう。

 タイムリーというのは、「いのちの歌」が放つそうしたメッセージの面だけではない。竹内の過去の作品が、ここ10年ほどの間にじわじわと海外で注目を集めるようになってきているからだ。

 これまでのキャリアを簡単におさらいしておくと、島根県出身で慶應大学在学中から本格的な音楽活動を始め、78年にシングル「戻っておいで・私の時間」とアルバム「BIGINNING」でデビュー。「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風」や「SEPTEMBER」(ともに1979年リリース)といった初期の代表曲の多くは、高校時代にアメリカ留学を経験、大学でも英文科に学んだその語学力と発音の良さが生かされたものだ。アメリカン・ポップス調で、中低域の伸びも魅力的な媚びないヴォーカルもあいまって、日本の女性シンガーとしては突出した存在だったと言っていい。

 一方で、80年発表の「不思議なピーチパイ」がシングル・チャート3位を記録するなどセールス面でも早くから成功を収めている。この時代に紅白に一度も出演していないことは、今の紅白を考えると信じられないが、まだまだ歌謡曲・演歌中心で、ポップス、ニューミュージックのフィールドで活動するアーティストにとっては、現実的な場ではなかったということなのだろう。

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岡村詩野

岡村詩野

岡村詩野(おかむら・しの)/1967年、東京都生まれ。音楽評論家。音楽メディア『TURN』編集長/プロデューサー。「ミュージック・マガジン」「VOGUE NIPPON」など多数のメディアで執筆中。京都精華大学非常勤講師、ラジオ番組「Imaginary Line」(FM京都)パーソナリティー、音楽ライター講座(オトトイの学校)講師も務める

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竹内まりやが絶対的な人気を獲得した背景にあるものは