笑顔を見せるドナルド・キーンさん(左)と平野啓一郎さん。年の離れた2人だったが、深い友情で結ばれていた/2014年4月(写真/平野さん提供)
笑顔を見せるドナルド・キーンさん(左)と平野啓一郎さん。年の離れた2人だったが、深い友情で結ばれていた/2014年4月(写真/平野さん提供)

 日本と日本文学を愛し、海外に広めたドナルド・キーンさんが亡くなった。享年96。親交が深かった作家の平野啓一郎さんに、キーンさんの功績と思い出を聞いた。

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「戦後、日本文学が国際的に評価されていく時期に、サイデンステッカーなど、日本文化研究の第1世代の人たちが非常に大きな役割を果たしました。その中で最も重要な存在だったのが、キーンさんだと思います」

 2月24日に亡くなった日本文学研究者、ドナルド・キーンさんについて、そう語るのは作家の平野啓一郎さん(43)だ。平野さんは、生前のキーンさんが「若い作家で、私と仲のいい唯一の人です」と言うほどの間柄だった。

 キーンさんが生まれたのは、1922年の米国ニューヨーク。コロンビア大学在学中に『源氏物語』に出合う。当時、ヨーロッパはナチス・ドイツが勢力を伸ばし、フランスを占領。ロンドンではナチスによる夜間空爆が始まる、暗い時代だった。

「争いのない、貴族たちがくり広げる、美だけの世界。第二次世界大戦が始まり、ドイツ軍が各地を占領していたころで、どうすれば武器を持たずに争いをやめさせることができるのか、私はいつも考えていたので、なおさらひかれました」

 キーンさんは97年の朝日新聞の取材に、こう語っている。

 太平洋戦争が始まると『源氏物語』を読みたい一心で、海軍日本語学校に入学。戦時中は通訳士官として日本語文書の解読に従事する。このとき日米が激しく戦った、ガダルカナル島で押収された兵士の日記も読んだ。

 日記の中には「戦争が終わったら、家族の元へと届けてほしい」と、最後のページに英語で書かれたものもあった。願いをかなえようと隠していた日記が押収されたこともあったという。

「キーンさんの日本語体験として、日記を通じて、戦地で究極の危機に瀕した市井の人間たちの声を読んだことは、とても大きな意味があった」と平野さん。

「日本文化の精髄としての『源氏物語』と、一般の人たちが死に直面しながら書き綴った生々しい声。その両極の言葉のあいだで日本文学を捉えていたので、キーンさんは川端康成のような美しい日本語というだけではない、大岡昇平や三島由紀夫、大江健三郎さんといった、実存を問うような戦後日本文学も読むことができたんだと思います」

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