「彼らのような人間は、現代の社会に居場所がありません。彼らは現代の犠牲者、いけにえともいえます。でも電気工は自分を犠牲にしますが、その後に村には電気が行き渡ります。ケンタウロスの息子には希望が生まれます。肉体的にはなくなっても彼らがやろうとしていることは決してなくならないのです」

 さらに「これは誰にも言っていないのですが」と声を潜め、

「私は迷信深いので、映画の最後に死ぬことで現実世界での自分の命を延ばすことができるのではないか、と思っているのです(笑)。もっともっと映画を作るために長生きしたいので」

 映画監督を目指していたわけではない。幼少から絵が得意で画家になるため美術専門学校へ。卒業後に映画の撮影所で10年ほど小道具など美術に関わった。

「身近に監督たちを見ていて『彼らは大事なことを何も描いてない』と不満が出てきたんです。それならば、自分で作品を作ってやろう!と思った」

 子ども時代に村の映画館で映画に触れたが、それほど多くの映画を観るチャンスはなかった。

「タルコフスキーやフェリーニ、小津安二郎監督が好きですが、観たのはずっと大人になってからです。私は誰の影響も受けず、自分の道を歩んできました。だから完璧なものではないかもしれないけれど、これは私だけの道。自分の道を歩いてきたからこそ、人に何かを訴えることができ、それを評価していただいていると思います」

(ライター・中村千晶)

AERA 2018年3月26日号より抜粋