嶋田久作(しまだ・きゅうさく)/1955年生まれ。楽器工場勤務、庭師などを経て、劇団「東京グランギニョル」で活動。「帝都物語」(1988年)で映画デビュー(撮影/加藤夏子)
嶋田久作(しまだ・きゅうさく)/1955年生まれ。楽器工場勤務、庭師などを経て、劇団「東京グランギニョル」で活動。「帝都物語」(1988年)で映画デビュー(撮影/加藤夏子)
この記事の写真をすべて見る
短いと2、3分、長いときは10分ほど頭上に滞在するというニーカ。嶋田さんは決して怒りも下ろしもしない(写真:本人提供)
短いと2、3分、長いときは10分ほど頭上に滞在するというニーカ。嶋田さんは決して怒りも下ろしもしない(写真:本人提供)

 妻が連れてきたみあと暮らし始めて、ネコを知った。いま、俳優の嶋田久作さんのブログには、頻繁に愛のニーカが登場する。嶋田さんに猫との生活を聞いた。

【嶋田さんの頭上に滞在する可愛らしいニーカの姿はこちら】

*  *  *

 妻の連れ子だった先代ネコのみあは、子どものないぼくら夫婦にとって、子ども同然。一緒に暮らした18年は、忘れられない「3にん」での生活でした。07年、21歳で看取ってから、「もうネコは飼わない」と一度は決めたんです。みあは最後の2年は病院通いで、半年は寝たきり、夫婦で介護して、交代で寝ずの番もしました。自分たちの年齢で今後20年生きるネコを飼うのは、体力的に無理だろうと話し合ったんですね。

 ところが妻がペットロスになって、気持ちの慰めになればと動物園やペットショップに行っているうち、ニーカと出会った。ロシアンブルーの子ネコでした。

「どうしても」と頼まれて、それなら頑張ろうと。みあを2月に亡くして、ニーカに会ったのは4月末。短いと思われるかもしれませんが、ぼくらの中では逡巡した3カ月でした。ちゃんと決断をしないと、と悩んだんですね。

 でも、「エイヤッ」とニーカを迎えたら、やっぱりうれしくて、毎日ウキウキしてね。ニーカが来てすぐ、映画の撮影でぼくは1カ月ほど家を空けたんです。ひょっとしたら、人間の赤ちゃんでいうと可愛い盛りの大切なひとときを逃したのかな、とも思いましたけど、ニーカはちゃんとぼくを偉いと思ってくれているみたいですよ(笑)。

 ぼくの濡れた髪が大好きで、風呂上がりは必ず待ち伏せしていて、頭の上に飛び乗ってくるんです。「乗りたい」と意思表示をするので、肩をポンポンとたたいて招いてやる。背中から飛び乗るときもありますが、小柄で軽いですから。頭の上から得意げに妻を見下ろしたり、ぼくの髪に自分をこすりつけたり、毛づくろいしたり。ぼくも下りろとは言わないですから、長いと10分くらい、気の済むまでいます。彼女の楽しみのひとつだから、邪魔しません。

 妻と動物の映像を見ていて、「かわいいね」と言うと、ニーカはどこへいても駆けてきて、「自分はここよ」と訴えるんです。やきもち焼きですよね。

「ネコの知能は人間には遠く及ばない」という学者もいますけど、一緒に暮らしていると、生活一般の認知能力は人間とそう変わらないんじゃないかと思いますよ。ネコでも犬でもウサギでも、人間が思っているより、賢いんじゃないかな。

 ネコと暮らすのは、先代のみあが初めてでした。子どもの頃、巣から落ちたスズメを世話して死なれたのが悲しくて、動物には苦手意識があった。みあにも、最初はどう触っていいかわからなかった。けれど、家に来て間もなく、にらめっこしたら、「ああ、好きかもしれない」と。

 当時、ぼくは30を過ぎていましたが、みあと出会って、自分より優先すべきものができたのはよかったと思っています。少し遅いですけど、「自分離れ」ができた。ぼく、どちらかというと人間より動物のほうが好きなんです。動物には、自分をよく見せようとか、変な自意識がないでしょう。

 いま、ニーカがいて日常的に幸せです。幸せを感じていることを忘れていて、ニーカの姿を見てそれを思い出すんです。

 ニーカも今年で10歳。迎えるとき、「純血種は雑種ほど長寿じゃないかもしれない」と自分たちに言い訳をしましたが、今はネコも長寿でしょう。「ネコと妻ぐらいは守っていかないと」というのがぼくの生存理由でもあります。少なくとも、あと10年は元気に頑張りますよ。

(構成/編集部・澤志保)

AERA 2018年2月19日号