徳田の忠告はずしんと腹にこたえた。松本は、院長、外科執刀医、そして往診医、3足のわらじを履く決心をした。

 地域に密着した羽生の医療は、松本にとって新鮮だった。地道に病院を運営し、新築移転が視野に入ってきた。

 その矢先、「徳洲会事件」が起きた。徳田の次男の選挙運動にグループ病院の職員が数百人単位で動員され、あとで手当が支払われていた。公職選挙法違反で関係者10人が逮捕、起訴され、有罪が確定する。羽生病院からも職員が駆り出されていた。痛恨事であった。

「最終的に許可した私の責任です。選挙にかかわった職員は、警察の事情聴取や家宅捜索で、大変な負担と心の傷を抱え込みました。職員の前で、申し訳ない、もう二度と諸君にこんな思いはさせない、と謝りました」(松本)

 解体の危機に瀕した徳洲会は、徳田一族との関係を断つ。いまも71病院、年商4201億円の規模を保っている(17年6月現在)。

 日々、現場で医療に携わる松本には、釈然としない面が残っている。

「事件は収束したけど、首脳部にはケジメの記者会見を開いてほしかった。徳洲会は生まれ変わる、医療に専念すると社会的な宣言をしてもらいたかった。いまさらですが……」(同)
 これは3万人超の徳洲会職員に共通する思いだろう。

 羽生病院は、来年5月、車で6、7分の幹線道路沿いの広い敷地に新築移転する。地域包括ケアを進めたい厚労省は、病院の機能分化、地域連携を推す。だが、それは医療機関が多い都市型の発想にすぎず、医療過疎地にはなじまない。新しい羽生病院は、高度医療から慢性病への対応まで多機能集中型となる。松本は言う。

「機能分化しようにも他に大きな病院がない。高齢の患者さんを、何時間もかけて大学病院やがんセンターに通わせていいのか。新病院は、グループ病院とネットワークで結び、ドクターヘリで患者さんの移送も考えています」

 医療は、現場での実践と制度の間を揺れ動きながら積み上げられていく。つなぐのは人であり、一朝一夕には築けないものだ。

 徳田虎雄の歴史的評価にも、もう少し時間が必要なのかもしれない。(文中敬称略)

(ノンフィクション作家・山岡淳一郎)

AERA 2017年12月11日号