アサヒグラフ1972年6月2日号の特集記事「救急病院の素顔」。首都圏でも夜間や休日は救急患者の受け入れ先が見つからないことがあると報じている。写真は72年4月~6月合本版(撮影/写真部・片山菜緒子)
アサヒグラフ1972年6月2日号の特集記事「救急病院の素顔」。首都圏でも夜間や休日は救急患者の受け入れ先が見つからないことがあると報じている。写真は72年4月~6月合本版(撮影/写真部・片山菜緒子)
京都府と埼玉県では2倍以上の隔たりがある(AERA 2017年11月27日号より)
京都府と埼玉県では2倍以上の隔たりがある(AERA 2017年11月27日号より)
1984年12月ごろ撮影。徳田虎雄は、「年中無休」「24時間オープン」など、医療改革を掲げた (c)朝日新聞社
1984年12月ごろ撮影。徳田虎雄は、「年中無休」「24時間オープン」など、医療改革を掲げた (c)朝日新聞社

数年前、「政治とカネ」の問題で、多くの公職選挙法違反者を出した医療法人「徳洲会」。だが、いまなお日本最大の民間病院グループとして存在する。徳洲会を生んだ時代を、医療の側からノンフィクション作家・山岡淳一郎氏が3回に分けて読み解く。

【地域によって医師の数がこんなにも違う?厚生労働省のデータはこちら】

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 医師の数は、地域によって大きな差がある。厚生労働省によると、人口10万人当たりの医師数で最多の京都府と最少の埼玉県の隔たりは2倍以上だ。

 地方の医師不足の解消に向けて、厚労省は来年の通常国会に都道府県の権限を強める法案を提出する準備を進めている。憲法に「職業選択の自由」が謳われたなかで、いかに医師の偏りを均(なら)し、無医地区をなくしていくか。

 医療過疎地への対応は官民挙げてのテーマである。超高齢化社会が到来したいま、この難題にどう向き合うか。そこで改めて徳田虎雄(79)が創業した徳洲会に焦点を当てたい。徳洲会はわざわざ医療空白地域に病院を建て、巨大化したグループなのである。

 徳田は2000年代前半に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、全身不随になってからも文字盤を目で追う意思伝達法でグループを統率した。その姿から「異形の病院王」とも呼ばれる。いまは自力で瞼(まぶた)を開けられないほど病状が進行しているという。

●人口集中と自由な病院開設が医療砂漠を産み落とす

 数年前、徳洲会事件が起き、徳田一族の女性問題や「政治とカネ」のトラブルが露呈した。大勢の公職選挙法違反者を出した徳洲会は、傘下の医療法人の認定が取り消され、解体されるのではないか、とささやかれた。だが、徳洲会は徳田一族との関係を断ち、いまもグループの一体性を保っている。

 その規模は群を抜く。病院数は71、診療所や介護、福祉系施設が145、職員数3万800人。1日の平均入院患者数1万7300人、外来患者数2万4千人。グループ全体の年商は、4201億円に上る(17年6月現在)。何が徳洲会を日本最大の民間病院グループに成長させたのか──。

 時代は高度経済成長期にさかのぼる。1973年1月、大阪府松原市で徳田病院(当時70床、現松原徳洲会病院)が開院の日を迎えた。松原市は診療所数、病床不足率で大阪府下ワースト自治体だった。徳田病院の目の前は近鉄の線路が走り、車庫が連なる。人の住まない線路は空白の診療圏。常識的には病院経営には最悪の土地である。

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