別の血液内科医(79)は、ペンシルベニア州フィラデルフィアの医学センターでレジデント生活を経験した。1年目、英語が十分に話せなかった彼は、病理に回され、毎日、遺体の解剖を命じられた。ひとりで1体を受け持ち、主に胸部、腹部を開いて臓器を、必要に応じて脳や脊髄も取り出す。摘出した臓器は肉眼観察して写真に撮り、ホルマリンに漬ける。組織標本を作って顕微鏡で観察し、異常を調べる。カルテをまとめて解剖を終えると心身ともにくたくたになるが、指導医は、容赦なく「はい。次」と遺体を送ってきた。

 夜を徹して解剖、また解剖。その後、一般内科に回り、メリーランド州の病院でICU(集中治療室)、CCU(心疾患集中治療室)を担当する。1日交代の当直を4カ月続け、やっと「奴隷」のような境遇を脱した。

 3年目にチーフレジデントに昇格し、「人間らしい生活に戻れた」と言う。血液内科医はアメリカの内科専門医の資格も取得した。「このまま残って開業すればいい。稼げるのはこれからだ」と誘われるのを振り切って帰国。恩師の勧めで徳洲会に入職した。

 血液内科医は、日米の医師の働き方の違いを、こう語る。

「私たちは検査重視の科学的な医療を仕込まれました。無駄な投薬、薬漬けはしない。大げさではなく、日本育ちの医者の2倍、3倍は働きましたね。年中無休、24時間診療もアメリカなら当然ですから」

 徳洲会の基盤は、旧態依然とした日本の医療に辟易し、変革を求めるアメリカ帰りの医師が築いた。そこに「全共闘世代」が加わり、若い研修医を巻き込んで医師団が形成される。徳洲会は一種の社会運動体として医療過疎地に進出していった。

 と、そこに既得権益集団がたちはだかる。医療界最大の圧力団体、医師会であった。(文中敬称略、以下次号)(ノンフィクション作家・山岡淳一郎)

AERA AERA 2017年11月27日号