徳洲会が日本最大グループになった背景 「異形の病院王」徳田虎雄の戦略 (5/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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徳洲会が日本最大グループになった背景 「異形の病院王」徳田虎雄の戦略

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山岡淳一郎AERA
アサヒグラフ1972年6月2日号の特集記事「救急病院の素顔」。首都圏でも夜間や休日は救急患者の受け入れ先が見つからないことがあると報じている。写真は72年4月~6月合本版(撮影/写真部・片山菜緒子)

アサヒグラフ1972年6月2日号の特集記事「救急病院の素顔」。首都圏でも夜間や休日は救急患者の受け入れ先が見つからないことがあると報じている。写真は72年4月~6月合本版(撮影/写真部・片山菜緒子)

京都府と埼玉県では2倍以上の隔たりがある(AERA 2017年11月27日号より)

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1984年12月ごろ撮影。徳田虎雄は、「年中無休」「24時間オープン」など、医療改革を掲げた (c)朝日新聞社

1984年12月ごろ撮影。徳田虎雄は、「年中無休」「24時間オープン」など、医療改革を掲げた (c)朝日新聞社

 別の血液内科医(79)は、ペンシルベニア州フィラデルフィアの医学センターでレジデント生活を経験した。1年目、英語が十分に話せなかった彼は、病理に回され、毎日、遺体の解剖を命じられた。ひとりで1体を受け持ち、主に胸部、腹部を開いて臓器を、必要に応じて脳や脊髄も取り出す。摘出した臓器は肉眼観察して写真に撮り、ホルマリンに漬ける。組織標本を作って顕微鏡で観察し、異常を調べる。カルテをまとめて解剖を終えると心身ともにくたくたになるが、指導医は、容赦なく「はい。次」と遺体を送ってきた。

 夜を徹して解剖、また解剖。その後、一般内科に回り、メリーランド州の病院でICU(集中治療室)、CCU(心疾患集中治療室)を担当する。1日交代の当直を4カ月続け、やっと「奴隷」のような境遇を脱した。

 3年目にチーフレジデントに昇格し、「人間らしい生活に戻れた」と言う。血液内科医はアメリカの内科専門医の資格も取得した。「このまま残って開業すればいい。稼げるのはこれからだ」と誘われるのを振り切って帰国。恩師の勧めで徳洲会に入職した。

 血液内科医は、日米の医師の働き方の違いを、こう語る。

「私たちは検査重視の科学的な医療を仕込まれました。無駄な投薬、薬漬けはしない。大げさではなく、日本育ちの医者の2倍、3倍は働きましたね。年中無休、24時間診療もアメリカなら当然ですから」

 徳洲会の基盤は、旧態依然とした日本の医療に辟易し、変革を求めるアメリカ帰りの医師が築いた。そこに「全共闘世代」が加わり、若い研修医を巻き込んで医師団が形成される。徳洲会は一種の社会運動体として医療過疎地に進出していった。

 と、そこに既得権益集団がたちはだかる。医療界最大の圧力団体、医師会であった。(文中敬称略、以下次号)(ノンフィクション作家・山岡淳一郎)

AERA AERA 2017年11月27日号


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