……と、いかにも「21世紀型教育」的な例を挙げてみたが、実はこれらは、各校の教育力の「ごく一部」を物語っているに過ぎない。

 にんじん、たまねぎ、じゃがいも……。具がその形状をとどめなくなるほどに煮込んだシチューは格別だ。教育も同じ。
 その時々のトレンドに合わせて新しい教育プログラムを取り入れることに精力的な学校は多い。「これは国際教育に効くプログラム」「これはコラボレーション力を鍛えるためのプログラム」と説明しやすい。

 しかし名門校では、ごく普通の9教科の日々の授業の中で当然のようにそれらの能力を高めようとする。日々の授業の中でディスカッションやグループワークを繰り返すことで、「グローバル市民視点」「コラボレーションする力」も磨いていく。

 授業だけではない。名門校では、先に挙げた開成のように、行事や部活の運営の中にも、それらの能力を鍛える仕組みが埋め込まれている。

 つまり、「創造的・批判的思考力を鍛える教育プログラム」のような形は存在せず、あらゆる授業や行事、部活動が混然一体となっており、そこで学ぶだけで自然にこれらの能力が身につくことがほとんど「文化」になっている。日本語の文化圏で暮らせば自然に日本語が身につくのと同じだ。

 首都圏で言えば、先に挙げた男子の御三家に加え、女子御三家と呼ばれる桜蔭、女子学院、雙葉、関西では灘、東大寺学園、神戸女学院など、いわゆる中学受験最難関校に通う価値は、それぞれの「学校文化」の中に6年間身を浸すことそのものにほかならない。それによって、どんな時代になっても生きていける力が身につく。

 難関大学に行くことを至上目的とするのなら、何もこのような学校に通う必要はない。難関大学受験専門塾に通って、6年間、徹底的に問題集ばかり解いていればそれがいちばん効率がいいはずだ。

●「生きる力」は普遍的

 数年前、「学校で教えてほしかった9つのこと」という記事をインターネットで目にした。税金の申告の方法、社内政治を乗り切るスキル、クレジットカード会社からの信用力を高める方法……そんな内容だった。確かに実社会において役に立つことではある。しかし、どれも「自分で考えろ」と言いたくなるものばかりではないか。

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