学校で教えてもらうことは、人生で必要なことのごく一部でしかない。しかし、それらを組み合わせて応用すればたいていのことには対処できる。あれもこれもパッケージ化して学校で教えるというのは、「応用力のない人」の発想だ。

 同様に、英会話やIT知識、プレゼンテーション能力なども「生きるためのスキル」に過ぎない。「これからの時代を生きるには、このスキルとこのスキルが必要になるからやっておきなさい」などと言って、子どもたちに与えることは、スマホにアプリをインストールするようなものだ。そのやり方では、新しいスキルが必要になるたびに、インストールしなければならなくなる。

「これからの時代を生きるにはどんな力が必要か、それはどうやったら手に入れることができるのか」を自分で考え、実行できる力こそ、本当の意味での「生きる力」。自律的に成長する能力と言い換えてもいい。

 学校、特に中等教育(日本の中学校・高校の課程にあたる)を行う学校は、「生きる力」を育む場所であり、「生きるためのスキル」をインストールする職業訓練所ではないのだ。

「生きるためのスキル」は時代によってめまぐるしく変化するが、「生きる力」は人間にとって普遍的に必要な力だ。それを最近になって「新しい学力観」「21世紀型学力」などと呼んでいるに過ぎない。

「生きる力」は、「虫の眼」「鳥の眼」「魚の眼」にも例えられる。

 虫の眼とは、物事を細部にわたって高解像度で見る力。科学的な視点や数学的思考、また高度な言語運用能力が欠かせない。

 鳥の眼とは、物事の全体像を見渡す力。インターネットで調べればどんな知識でも瞬時に得ることができる世の中だが、知識のネットワークが頭の中に構築されていればこそ、物事の全体像をとらえることができるのであって、それができてこそ、物事の要点がつかめたり、優先順位をつけたりできる。

 魚の眼とは、物事の流れを察知する力、文脈を読み取る力。物事を一面的に瞬間的にとらえるのではなく、立体的な流れの中でとらえる感覚を身につけていなければならない。

次のページ