例えば昨年4月14日夜に発生した地震では、翌15日にはくにかぜIIIが被災地に飛び1週間、空撮写真を撮った。写真は即日、地理院地図にアップ。ドローンで上空から撮った、土砂災害で寸断された道路や地震で新たに出現した断層の様子も見られるようにした。アクセス件数は通常の1.5倍になった。

 こうした地図のデータ化作業をするのは、情報普及課応用技術係長の菅原友恵さんだ。690人近い職員のうち、女性は2割ほど。

 菅原さんは大学では農学部だったが、ワンダーフォーゲル部に所属し、山に登る際に登山図を使うことで地図に興味を持った。菅原さんは言う。

「災害時の情報提供は命にもかかわる場合もあります。とても責任が重いと思っています」

●「日本の原点」を見る

 同院では海面の潮位も観測、管理している。その「潮位観測」を行っている測地観測センター地殻監視課海岸昇降監視係長の古屋有希子さんが言う。

「標高を正確に把握するには、潮位を定期的に測ることが欠かせません。地震による地殻変動を測るのも国土地理院の役目。災害にも対応できる重要な情報提供をしていきたい」

 東京・永田町に、地図の“聖地”がある。土地の高さの基準となる「日本水準原点」だ。場所は、国会議事堂の正門前、道路を1本へだてた憲政記念館の構内だ。それにしてもなぜこの場所に?

「当時、ここに参謀本部があったからです」

 案内してくれた国土地理院関東地方測量部次長の後藤清さんが説明する。1891年5月、国土地理院の前身である陸軍参謀本部陸地測量部が設置した。

 といって、この場所が「標高ゼロ」というわけではない。明治時代、長期にわたり東京湾の潮位を観測し、その平均値を「東京湾平均海面」と決めた。これが日本の標高0メートル。そして土地の高低を決めるための「日本水準原点」が設けられたのだ。原点の標高は24.3900メートル。東日本大震災による地殻変動で2.4センチ沈降した。数値の変更は、1923年の関東大震災(8.6センチ沈降)以来だという。

 水準原点を守るローマ神殿風の石造りの建物正面には「大日本帝国」の文字と菊の紋章が刻まれ、異彩を放つ。鉄の扉を開けると、大きな台石の先端に縦25センチ、横5.5センチ、厚さ6センチの水晶板がはめこまれ、目盛りが刻まれている。「日本の原点」を、身近に感じてはいかが。(編集部・野村昌二)

AERA 2017年2月20日号

著者プロフィールを見る
野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

野村昌二の記事一覧はこちら