僕が英ケンブリッジ大学に留学して一番驚いたのは、教授ひとりひとりの判断の積み重ねで組織が動いていることです。僕を大学で受け入れるか否かはある教授が一人で決めました。同じようなことは、米ハーバード大学の入学者選抜にも言える。OB・OGが面接しますが、偏差値やテストの点数のように標準化されたものはありません。あるOBが推薦した学生が十分な成果を上げなければ、そのOBが持つ推薦枠が減らされる。判断する人が責任を取る仕組みになっているのです。

 日本の入試は誰も判断しないシステム。東大も推薦入試を実施して話題になりましたが、個々人が責任を持つ文化がないと、マニュアル化する恐れがあります。それだと結局、「傾向と対策」が有効な試験になってしまう。個々人が判断するなんて、フェアじゃないという批判もあるでしょう。でも、偏差値なら公正なのでしょうか。本当に客観的で公正な基準なんて、あるのでしょうか。

 海外で共通するのは、「知の基準は自分にある」という感覚。自分の基準に従って行動し、成功しても失敗しても結果は自分で引き受ける。

 昔の日本の教養主義はヨーロッパにお手本があって、それを学んでいることがエリートの証しでした。東大が象徴するこうした知の在り方は、もはや通用しなくなっています。(アエラ編集部)

AERA 2016年3月14日号より抜粋