津田さんは横浜生まれで、小中学生時代は米国シアトルで育った。ずっと生活圏は都会で、地方とは縁がなかった。転機は2013年秋、家族で訪れたキャンプ。空気や水がおいしく、一面に畑が広がり、遠くにアルプスの山々が連なる風景に魅了された。帰り道、車の後部座席で2人の息子は気持ちよさそうに寝息を立てていた。

「ここで暮らしたい。ここで子育てをしたい」

 妻の聡子さん(37)が言った。すぐさま、津田さんは返した。

「じゃあ、そうしてみようか」

 津田さんはその頃、フリーランスや起業した友人らを見て時代の変化を感じ、「会社員でも現在の働き方が未来永劫続くのかな」と疑問を抱いていた。聡子さんの発言を機に、新しい働き方を自ら実践してみようと、事業プランを練り始めた。

「東京の人と地域の人をつなぎ合わせて新しいビジネスをつくる。地方に起業家やクリエーターらのコミュニティー、リアルに集う場所をつくりたい」

 富士見町のホームページでテレワークタウン計画を知り、すぐに「僕にやらせてください」と役場にメール。1週間後には東京で町職員2人に事業計画をプレゼン。その2週間後には、役所で町長に面会し、「一緒にやろう」と話がまとまった。

 家族と暮らす拠点と住民票は富士見町に移したが、「脱東京」を目指してはいない。

「人が人を連れてくる。自分が東京とつながっているからこそ、可能性がある」

 富士見町から運営を委託されたシェアオフィスは改築の真っ最中。12月のオープンを前に、東京の企業からも問い合わせが入る。

AERA 2015年9月14日号より抜粋