●成熟国家らしい先進競技場に


 
 12年3月、JSC理事長、河野一郎の私的諮問機関として「国立競技場将来構想有識者会議」が設置された。選ばれた14人の有識者の中に、コペンハーゲンで涙をのんだ3人がいた。都知事(当時)の石原慎太郎、元首相の森喜朗に鈴木。この3人と建築家の安藤、そして河野が中心となって新競技場の基本コンセプトが煮詰まってゆく。

「開催は神宮で」という基本線は石原と森で合意されていたという。これには都知事選が絡む。五輪招致に敗れた石原は4選に消極的だった。「知事になって五輪をやると宣言してください」と説得したのが日本ラグビーフットボール協会長だった森だ。

 ラグビーはワールドカップ(W杯)を19年、日本で開催することが決まっていた。しかし、国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)が求める8万人収容スタジアムが、東京にない。五輪という「錦の御旗」を立てて、国立競技場を建て替えようという思惑が見え隠れする。

「政治的な仕切りは森、基本コンセプトを描いたのは鈴木、実務の差配は河野、という分担だった」

 事情を知る関係者は言う。河野は学生時代ラグビー選手でスポーツ医療に携わる傍ら、強化推進本部長を務めるなど、日本ラグビー協会に深くかかわり、森に引き立てられていた。

 鈴木は旧通商産業省の官僚だったころから、政策通と言われていた。

「1964年の五輪は工業化で復興を成し遂げた日本のハードレガシー(遺産)を残す意義があった。2020年は成熟国家にふさわしいソフトレガシーを後世に継承することに意義がある」

 鈴木はこんなビジョンを掲げ、新競技場をスポーツにとどまらずエンターテインメントや、ITを使った映像技術の発信基地にする方向で議論を主導した。

 基本コンセプトは「多目的利用のスタジアム」。三つのワーキンググループ(WG)が有識者会議に設けられた。

 競技団体の要望を取りまとめるスポーツWGは、日本サッカー協会名誉会長の小倉純二が率いた。作曲家の都倉俊一は文化WGを担当。両者の希望を競技場に取り入れる作業は安藤の施設建築WGが担当した。夢いっぱいのアイデアが競技場の規模を膨らませた。

 22万平方メートルとされた巨大な建築物の中をのぞいてみよう。

●面積は2倍でも収容人数は同じ

 競技場に欠かせないグラウンド・トラックなどは2.6万平方メートル、観客席が8.5万平方メートル。控室など関連機能を合わせた競技場としての機能は合計で約12万平方メートル。全面積の半分強しかない。ロンドンやシドニーではこの大きさで8万人以上の競技場が成り立っている。

 新国立競技場が抱える残りの半分、ここに「多目的競技場」の秘密がある。運営本部、会議室、設備室などの維持管理機能2.5万平方メートル、駐車場3.5万平方メートル、VIPラウンジ・観戦ボックス・レストランなどホスピタリティー機能2万平方メートル、ショップ・資料室・図書館などスポーツ振興機能1.5万平方メートルなどだ。

 競技場をにぎわいのあるビジネス拠点にしよう、という考えが下地にある。

 8万人を動員する国際大会は、多くても数年に一度だろう。国内の陸上競技は開催回数が少なく、集客に限りがある。サッカーや野球なら人が集まるが、年間の利用枠を埋めるには十分ではない。

 日本武道館や東京ドームでやっているようなコンサートやイベントで切れ目なく会場を埋める。開閉式の屋根を採用したのもそのためだ。雨天を気にせず、数万人を動員できるミュージシャンを外国から呼ぶこともできる。

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