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東京育ちライター 田舎で農業を始めた理由

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田んぼを借りる交渉をしてくれ、荒れ地の草の刈り方から教えれくれた師匠(右)と、最後の大仕事、稲刈りをする(撮影/石動弘喜)

田んぼを借りる交渉をしてくれ、荒れ地の草の刈り方から教えれくれた師匠(右)と、最後の大仕事、稲刈りをする(撮影/石動弘喜)

 アエラの音楽コラム「ギリギリ限界!」の筆者・近藤康太郎が、4月から長崎で米作りに挑戦中だ。ライターが農業に挑んだ理由は、ライターでい続けるためだった。

*  *  *
 この春。強く希望して新聞社の東京本社を離れ、西の果て長崎県諫早市に異動した。

 早朝の1時間だけ、野良仕事をする。田んぼで米作り。それで、男1人が1年間食うだけの米を収穫することはできないか、という企みだ。朝1時間だけ、というのがポイントで、プロの農夫になるのが目的ではない。「プロのライターでい続ける」ことこそが、眼目なのだ。

 20代のうちから社外の出版社に出入りし、雑誌や単行本の仕事をもらってきた。自由市場で値がつくライターになりたいという一心だった。だから、社内の友人より、社外のフリーライター、カメラマンとの付き合いが多い。彼らに仕事を回したり、逆に回してもらったり。

 この2、3年、そうした古い友人たちの顔色が、とみに冴えなくなった。出版不況である。雑誌がバタバタつぶれる。原稿料の単価が下がる。「なにか仕事回してくれないか。このままじゃ廃業」。そんなSOSを発してくる友人もいた。

 他人事と思っていない。会社が消えてなくなったらどうするか?消えないまでも、書きたいことが書けない雰囲気になったら?おまえは、ライターであることをやめるのか? 自問しない日は、ない。

 東京・渋谷生まれ。土いじりなんてしたこともない。道でミミズを見かけると、へっぴり腰で跳びはねる。なにより、田んぼの借り方なんて、ネットを検索しても出てくるわけがない。

 縁もゆかりもない地で、しかし、なんとか田んぼを借りられたのは、師匠(68)との偶然の出会いがあったから。手土産の虎屋の羊羹(ようかん)だけで、どこの馬の骨とも分からない、派手な柄シャツを着た「都会もんの風変わい」を受け入れ、「どこまで続くばいねえ」と半笑いしながらも、一から教えてくれた。田起こし、代かき、水路の調整、苗の入手…。50を過ぎて、ツルハシとシャベルを肩に、地下足袋で歩くとは、思ってもいなかった。

 4月から始めたど素人の「朝だけ耕」については、朝日新聞に「アロハで田植えしてみました」として、月1回連載している。読者からは予想外の好評で迎えられた。それは、師匠を始め記事に登場する「田人」たちの、キャラが立っていたからだろう。

 わたしの隣の田んぼを耕す親分(78)。大ベテランの農夫で、ちょっと癖がある。貴重な山水を奪い合う仲だ。耕作放棄地をただで貸してくれた地主の大奥様(78)は、「偉かねえ。やりんしゃいやりんしゃい」と太っ腹。近所で、見よう見まねで野菜を作る上品なご婦人のボニー(60)からは、周りの農夫に愛想振りまき、可愛がられる方法を教わって…。

 自分の“変人”具合などやわに思える濃ゆい人たち。「難しかことはよう知らん。けんど、自分はこれで生きてきたけん」という自信に満ち満ちていた。

AERA 2014年11月10日号より抜粋


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