アイ高野さん
アイ高野さん
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 1960年代後半に若者たちが巻き起こしたグループサウンズ(GS)ブーム。彼らはいかに時代の寵児となり、ブーム後をどう生きたのか。不定期連載第3弾の主役はザ・カーナビーツのドラマー兼ボーカリスト、アイ高野(2006年没)。

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「チビ太のおでん、チビ太のおでん、チビ太のおでんはサークルK」

 現在39歳の筆者が小学生の頃、テレビではコンビニチェーン・サークルKのこのCMがひっきりなしに流れていた。これを歌っている人が、かつて少女たちから嬌声を浴びたGSアイドルだったと知るのはまだまだ先のこと。

 アイ高野は1951年生まれ。父はジョージ高野(高野愛蔵)という人気サックス奏者だったが幼い頃に生き別れ、「音楽で売れたらまた会えるんじゃないか」と弱冠14歳でバンド活動をスタートした。「和製キース・ムーン(ザ・フーのドラマー)」の異名をとるほどのパワフルなドラムと、個性的なハイトーンボイスは瞬く間に音楽業界の注目を集め、デビューまでにそう時間はかからなかった。後に共にザ・カーナビーツを結成することになる越川ヒロシは、当時の高野についてこう話す。

「蒲田の『80番』という店で初めて演奏を見て驚きました。当時まだ中学生でしょう。あんなに華奢で可愛らしい見た目なのに、ドラムを叩きはじめると雰囲気が一変しちゃう。しかもあの声。さっそく僕が当時所属していたフリーランサーズというバンドに引き抜いて、一緒に活動を始めました」

 フリーランサーズ脱退後に結成したザ・カーナビーツのレコードデビューは1967年6月のシングル「好きさ好きさ好きさ」。イギリスの人気バンド・ゾンビーズのカバーだが、サビで高野が叫ぶ「お前のすべてを」というフレーズといい、ドラムスティックを突き出すしぐさといい、原曲以上の興奮をまとったこの曲はティーンエージャーの心に突き刺さった。

 当時、小学生だったファンの女性は「GSというと少し大人びたイメージだったんですが、モッチン(高野のニックネーム)は年齢が若くて身近なお兄さんのように感じられました。『好きさ好きさ好きさ』は今思えば洋楽なんだけど歌い方が可愛いし、今の子たちがアイドルを見るようにテレビにくぎ付けになりました」とその魅力を語る。

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