※写真はイメージです (GettyImages)
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 東京との県境にある山梨県丹波山(たばやま)村。人口わずか530人の小さな村ではここ数年、若者の移住や起業が相次いでいる。鉄道も通らず、コンビニもない。一見すると不便な環境だが、なぜ若者たちは、村で暮らすことを選んだのか。現地を訪れた。

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 東京・新宿から電車を乗り継いで1時間半あまり。JR青梅線の終着駅、東京の西の果てに位置する奥多摩駅で下車すると、同じ都内とは思えないのどかな光景が広がっていた。そこからバスでさらに1時間。ようやく着いた丹波山村は、その名のとおり、山に囲まれた小さな集落だった。

 村を東西に貫く丹波川は多摩川の源流で、村の面積の97%を森林が占める。高校がないため、若者たちは中学卒業と同時に村を離れ、多くは県外で就職したまま戻ってこない。1960年に2200人余りいた人口は、今年9月時点で534人に減った。加えて高齢化も進むこの村に、近年、ちょっとした異変が起きている。大学を出て間もない都会の若者たちが、村に移り住んでいるのだ。

「大学に入るまで、村の名前すら知りませんでした」

 こう話すのは、梅原颯大さん(23)。今春、中央大学商学部の卒業と同時に村に住民票を移し、不動産会社を立ち上げた。黒シャツに指輪をはめ、事務所ではマックブックと向かい合う。都心のIT企業で働いていてもおかしくなさそうな、今風の外見だ。

 村との出合いは大学2年のとき。「ソーシャル・アントレプレナーシップ・プログラム」という科目を履修したことがきっかけだった。授業は丹波山村を含め、人口減少が進む三つの自治体から一つを選び、地域の課題を解決するサービスや商品を開発するというもの。「正直なところエリアにこだわりはありませんでした。三つのうち丹波山だけ村の名前が3文字で、『ここでいいや』くらいの気持ちだったんです」と苦笑いする。

 履修1年目は都内の自宅から村に通い、農業の収穫やイベントを手伝った。だが2年目の春、国内で新型コロナウイルスの感染が広がり始め、行き来が難しくなった。

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